『目の眼』の最新号(11月号)において、時代の上がる金工の、笄を中心とした作品を紹介している。打刀拵に用いられた装剣金具においては、鐔よりも笄のほうが時代が上がると考えられることから、時代の上がる金工作品を楽しむという意味で特集した。南北朝時代まで上がると考えられる逆耳の笄、室町初期の素朴な作、極上手の作などを江戸時代初期の桃山文化の時代までにわたって解説している。参考に御覧いただきたい。
鍔の歴史
桃図笄 古後藤
古後藤とは、後藤宗家初代祐乗、二代宗乗、三代乗真、あるいは四代光乗辺りまでの時代の上がる後藤家の、代別が判断できない作品を極める際に用いる分類名である。これら後藤家の初期の作品には銘がないことと、桃山時代の作風は江戸時代初期寛永頃にまで及んでいることから、この時代の作品を、正確に代別まで鑑定できるであろうかという考えが背景にある。六代栄乗も桃山風の大振りな作を遺していることからその範疇であるとする研究家もある。ただし、栄乗の作には特徴があることから、特に分けて考えられる場合もあることは事実。とにかく銘がないものの研究は難しい。それが故に、銘のない時代の作品の研究など不可能であり、研究に値しないという方もおられるほどだが、そこまでは筆者も言い放つことは出来ないし、銘がないだけでも比較的安価であり、時代が上がるという点で楽しめる要素も充分ある。
この笄は、赤銅魚子地を高彫とし、ふっくらと柔らか味のある桃の実と花を描いた作。もちろん花と実は同時に存在しない。心象的ではあるが、時代背景から文様表現の流れの中にあり、写実へと向かいつつある過程の作と考えるべきであろう。そもそもこうした古典的な図柄には誇張がある。葡萄の実であればより大粒に描き、瓜は丸みをもってふっくらとしている。この桃はというと、桃形兜をみるようでいかにも現代のそれに比して小粒にほっそりとしている。当時の桃は、原種にちかいものであったに違いない。それでも甘みがあり、夏には人々の喉を潤したことであろう。□
鍔の歴史
桃図笄 古後藤
古後藤とは、後藤宗家初代祐乗、二代宗乗、三代乗真、あるいは四代光乗辺りまでの時代の上がる後藤家の、代別が判断できない作品を極める際に用いる分類名である。これら後藤家の初期の作品には銘がないことと、桃山時代の作風は江戸時代初期寛永頃にまで及んでいることから、この時代の作品を、正確に代別まで鑑定できるであろうかという考えが背景にある。六代栄乗も桃山風の大振りな作を遺していることからその範疇であるとする研究家もある。ただし、栄乗の作には特徴があることから、特に分けて考えられる場合もあることは事実。とにかく銘がないものの研究は難しい。それが故に、銘のない時代の作品の研究など不可能であり、研究に値しないという方もおられるほどだが、そこまでは筆者も言い放つことは出来ないし、銘がないだけでも比較的安価であり、時代が上がるという点で楽しめる要素も充分ある。
この笄は、赤銅魚子地を高彫とし、ふっくらと柔らか味のある桃の実と花を描いた作。もちろん花と実は同時に存在しない。心象的ではあるが、時代背景から文様表現の流れの中にあり、写実へと向かいつつある過程の作と考えるべきであろう。そもそもこうした古典的な図柄には誇張がある。葡萄の実であればより大粒に描き、瓜は丸みをもってふっくらとしている。この桃はというと、桃形兜をみるようでいかにも現代のそれに比して小粒にほっそりとしている。当時の桃は、原種にちかいものであったに違いない。それでも甘みがあり、夏には人々の喉を潤したことであろう。□