鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

輪違透図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2012-10-13 | 鍔の歴史
鍔の歴史 輪違透図鐔 古金工


輪違透図鐔 古金工

 素銅地を古拙な魚子地に仕上げ、耳は甲冑師鐔のように縁取りして桶底式に仕立てている。表面には黒漆が施されていたものであろう、その痕跡がある。下の穴は腕抜き緒の穴で後に開けられたもの。他の透かしは輪の組み合わせを意匠している。この種の輪違いは、馬具の噛みなどに見られるような、自在関節に用いられる部品を意匠したものであろうと推測する。これらの背景は、細い花弁のような、天衣のような、あるいは海草のような図案の毛彫。この鐔が装着されていたのは、茎櫃から平造であったことが分かる。縦75ミリであることから打刀であったと推測するが、さて、どのような拵であったものか、頗る興味が掻き立てられる。□

梅樹に鳥図笄 古金工 Kokinko

2012-10-12 | 鍔の歴史
鍔の歴史 梅樹に鳥図笄 古金工




梅樹に鳥図笄 古金工

 薄手撫で肩、山銅魚子地高彫仕立て、金のうっとり色絵の剥がれた痕跡がある。古拙なる魚子地は、それだけでも味わい深く、古風な造り込みも一層に魅力的。高彫された梅に取り合わせの鳥は鶯ではなさそうで、これも拙い描法ながら動きがあり面白い。特に右の鳥の翼を広げた様子、脚を縮ませた様子、頭を後ろにむけた様子などなど、明らかに写生を意識した図柄構成。造り込みから室町時代にまで上がると考えられるが、意匠は時代を先取りしているかのようだ。梅の花弁や葉の表面などの、微妙に鋤き込んだ鏨使いなどの処方も興味深い。□


武具図小柄 古後藤 Ko-Goto Kozuka

2012-10-11 | 鍔の歴史
鍔の歴史 武具図小柄 古後藤



武具図小柄 古後藤

 彫口強く肉高く、画面をはみ出しそうなほどに大振りが構成とした力強い作。赤銅魚子地を高彫とし、金のうっとり色絵を加えているが、うっとりが剥がれて下地が露出している。その表面には、うっとりの表面に施されていたものとまったく同様の、質感を高めるための毛彫などが処方されている。極上手というわけではないが、古拙なる魚子地に高彫し、微妙な鏨を加えて塑像に抑揚変化を付けている。表面が手擦れしており、戦国時代から桃山頃に実際に用いられていたであろう、実用の結果としてのその表情、味わいも格別である。金の切れたその破断部の様子も景色となっていて面白い。

鳳凰図二所 古後藤 Kogoto-Hutatokoro

2012-10-10 | 鍔の歴史
鍔の歴史 鳳凰図二所 古後藤


鳳凰図二所 古後藤

 目貫と小柄とは異なった作であり、後に合わせられたもの。微妙な作風は異なるが、雰囲気は合っており、拵に用いられていたものであろう、桃山時代の風合い顕著に華やかで魅力的。小柄に描かれている美しい五三桐紋の意匠によって徳乗ともみられる作。古風な桐樹の様子、それに配された桐花を桐紋で表わすという感性も面白い。植物を題としながらも文様表現である。その背後には、桐は鳳凰が棲む樹とされていることから。桐紋の花の脇に刻された楕円形の鏨が、後藤家が用いた極め鏨の一つ。

放牛図小柄 古後藤 Ko-Goto Kozuka

2012-10-09 | 鍔の歴史
鍔の歴史 古後藤


放牛図小柄 古後藤

 この小柄もまた手擦れによって表面の様子が確認できない。だが、この親子牛といってよいであろう、三匹の間にある微妙な空気感というか、関係というか、状況というか、何とも面白い。笄を小柄に仕立て直した作。牛は馬のような先頭を突き進むといった様子がなく、むしろのんびりとした姿で目立たずに意ながらもいざという時に強い力を発揮する、陽の馬に対して陰の牛といった印象がある。それが故に好まれたのであろうか、後藤家の作には比較的多い。



樋定規に放馬図小柄 古後藤

 樋定規に家紋図などの文様を組み合わせた図があるように、樋定規の存在は、簡素な線だけであるにもかかわらず画面に緊張感を与えている。小振りに引き締まった放れ馬を中央に描いているところも武士の持ち物らしい。馬の表面は使用によって擦れてしまい、毛彫などは確認できないが、それが故に時代色があって楽しめる。

 『目の眼』の最新号(11月号)において、時代の上がる金工の、笄を中心とした作品を紹介している。打刀拵に用いられた装剣金具においては、鐔よりも笄のほうが時代が上がると考えられることから、古い金工作品を楽しむという意味で特集した。南北朝時代まで上がると考えられる逆耳の笄、室町初期の素朴な作、極上手の作などを江戸時代初期の桃山文化の時代までにわたって解説している。参考に御覧いただきたい。

樋定規に五三桐紋図笄 古後藤 Ko-Goto Kougai

2012-10-06 | 
鐔の歴史 古後藤




樋定規に五三桐紋図笄 古後藤

 細い樋定規に小さな桐紋を組み合わせた、引き締まった景観の美しい作。赤銅魚子地は古風で、桐紋も同様に古色に溢れている。古い作品というのは、この例のように稚拙な作行ながら味わい深いところに妙趣が感じられるもの。□
 後藤家というと、初代が祐乗、二代が宗乗、三代乗真、四代光乗と続く。子が分家して別家を立てたことも良く知られている。別後藤である。後藤喜兵衛家は乗真の次男が宗家となっている。後藤理兵衛家は五代徳乗の次男(顕乗正継)が宗家。後藤源兵衛家も徳乗の五男が別家を興した。時代的にはこれらの分家の金工も桃山頃を活躍期としている者があり、古後藤の範疇に含められるはずであるが、この点もあまり研究されていないのが現実。何だ別後藤か、などと見下す方もおられるようだが、実はけっこう上手の工があり、甘く見ないでほしい。作品本位で楽しむことをおすすめする。



花筏図小柄 古後藤 Ko-Goto Kozuka

2012-10-06 | 鍔の歴史
鐔の歴史 古後藤




花筏図小柄 古後藤

 洒落た図案ですね。着物にも採られているように、伝統的な文様の一つであり、金工だけでなく、あらゆる分野と美観の連携はあったと考えられる。筏は桂川の上流から切り出された材木の運搬の手段。それに散りかかる桜は嵐山の象徴。春の風景が源にあるが、このような文様に昇華させたのは京都の文化そのもの。全体を文様にするのではなく、魚子地を背景に、波上に筏と桜を構成している。後藤家を興味の対象としている方でなくてもこの美観には心惹かれよう。

茄子図小柄目貫 古後藤 Ko-Goto Hutatokoromono

2012-10-05 | 小柄
鍔の歴史 古後藤



茄子図小柄目貫 古後藤

 何て素敵な図柄でありしかも素敵な構成、さらに彫刻表現も味わい格別。うっとり色絵が剥がれているところなども時代観があり、欠点として眺められない。面白い作品である。小柄は、魚子地の観察から元来は笄であったことがわかる。作風は微妙に異なることから、江戸時代に二所としてまとめられたものであろうが、そんなことはなんら欠点ではない。そもそも、小柄と笄の歴史を辿ると、笄のほうが古くから盛んに用いられていた。南北朝時代の腰刀などには笄が付されていた例が多く、後に同図で三所物などが必要になった際、現実には少ない小柄として古い笄を小柄に仕立て直すのである。その直しという意識も面白いではないか。新たに製作すれば良かろうに、古作を直して揃えるのである。即ち古作への憧れが存在した証しである。この茄子の構図、質感描写など、文様美から明らかに実体の写実的再現を狙っていることが推考される。

桃図笄 古後藤 Ko-Goto Kougai

2012-10-04 | 鍔の歴史
 『目の眼』の最新号(11月号)において、時代の上がる金工の、笄を中心とした作品を紹介している。打刀拵に用いられた装剣金具においては、鐔よりも笄のほうが時代が上がると考えられることから、時代の上がる金工作品を楽しむという意味で特集した。南北朝時代まで上がると考えられる逆耳の笄、室町初期の素朴な作、極上手の作などを江戸時代初期の桃山文化の時代までにわたって解説している。参考に御覧いただきたい。

鍔の歴史



桃図笄 古後藤

 古後藤とは、後藤宗家初代祐乗、二代宗乗、三代乗真、あるいは四代光乗辺りまでの時代の上がる後藤家の、代別が判断できない作品を極める際に用いる分類名である。これら後藤家の初期の作品には銘がないことと、桃山時代の作風は江戸時代初期寛永頃にまで及んでいることから、この時代の作品を、正確に代別まで鑑定できるであろうかという考えが背景にある。六代栄乗も桃山風の大振りな作を遺していることからその範疇であるとする研究家もある。ただし、栄乗の作には特徴があることから、特に分けて考えられる場合もあることは事実。とにかく銘がないものの研究は難しい。それが故に、銘のない時代の作品の研究など不可能であり、研究に値しないという方もおられるほどだが、そこまでは筆者も言い放つことは出来ないし、銘がないだけでも比較的安価であり、時代が上がるという点で楽しめる要素も充分ある。
 この笄は、赤銅魚子地を高彫とし、ふっくらと柔らか味のある桃の実と花を描いた作。もちろん花と実は同時に存在しない。心象的ではあるが、時代背景から文様表現の流れの中にあり、写実へと向かいつつある過程の作と考えるべきであろう。そもそもこうした古典的な図柄には誇張がある。葡萄の実であればより大粒に描き、瓜は丸みをもってふっくらとしている。この桃はというと、桃形兜をみるようでいかにも現代のそれに比して小粒にほっそりとしている。当時の桃は、原種にちかいものであったに違いない。それでも甘みがあり、夏には人々の喉を潤したことであろう。□