新笠通信 奄美電信版

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大学生というのは ほぼ例外なく 自己診断をするようにと学校側から促されています。

2019-10-05 08:53:37 | Diaries

入職を望んでいる学生が、雇い主に対して、その団体の一員としてふさわしい、適当であるという
つじつまのあう説明を行うためには、自己診断が必要不可欠とされているのです。
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隣の家や、よその家を眺めていて、あの一族は人間関係が成長する気配がまったく感じられない。というように、みえることがあります。

事情を知らない第三者に、客観的に解説、報告するための、合理的一般的な調査、診断が求められることがあるかもしれません。

人生4,50年生きていたら、お互いに、慶事に招待し合う間柄なのかといった、結びつきの形成具合は、承知し合っているものです。

縁起でもないことであるのであれば、結びつきの形成とは逆の、火の粉を振り払う、措置、つまり、積極的にかかわりあいにならないという 選択を継続する必要があります。

縁起でもない、めでたいとは思えない という評価でおちついているから、むしろ排除しようという流れ、動きのエネルギー、意向、が採用される方向へと進みます。

あの一族は人間関係が成長する気配がまったく感じられない。
一族の個々で見た場合、どうなのでしょうか?
ある頃から、人物として成長したという気配がまったく感じられない。
というようにいえるでしょうか?

人間関係をキープするには 日々起こりうるストレスに対して、クリアできたという積み重ね、継続が必要です。

この程度のストレスにもたえられないようであれば、この顔ぶれで人間関係を続けるのは無理がある。

人はそれぞれ、対処可能なストレスの閾値に幅がある。それはそれでよいのですが、

どのような人が、この程度のストレスにもたえられない、という反応を示してるでしょうか?

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人間関係の壊れ具合、壊れ方が半端でない。

その事実をたんたんと述べることも、述べられることも、とても気の毒なことです。

社交辞令すら成立しない 現象が目の前にある。

かなり早いうちで、とても若い、未熟な成長期の頃のうちにお芝居の稽古をやめてしまっている、

目の前にある人の輪、同年代と引率の担任に囲まれている輪、この顔ぶれで生徒と教師ごっこというお芝居はもうこれ以上続けられない、耐えられない

ということかどうかわかりませんが、あなたと私は師範と学生という最低限度の社交辞令でさえ成立しないという、断絶のタイミング、分岐点があったのかもしれません。

タイミングは、在学中や卒業時が考えられますが、卒業時というのが一般的でしょう。卒業すればこれ以上この顔ぶれで師範と門下生という上下関係、師弟関係を迫られることはなくなるわけですから。

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ガキ大将やぼんくらが、この程度のストレスにも耐えられない。

そうとう若い頃にお芝居の稽古をやめてしまっている。

しつけがうまくいっていない、成長期に能力を向上させることが望ましいとされることについての訓練がうまくいっていない。しつけや訓練にたえられない。

しつけや訓練、お芝居の稽古によって、集団生活を送っていたら直面することもあるであろう大なり小なりのストレスはほとんどのりこえられるものですが、

師範と弟子という上下関係に耐えられない。であるから、師がいたためしがない。師を持った、師に恵まれたためしがない。

ガキ大将やぼんくらは自分が万物の頂点という脳内ユートピアに生きているのであって、師のごときに対してはこちらからの指示や命令を受ける下っ端にすぎない と思っているかどうかはわかりませんが、

常日頃から、師や大学教授の講演を聴くぐらいなら私の話をきいたほうがましだぐらいのことは平然と数えるほどもいない周囲の人間にのたまわっていたりする。