あの日からの或る日の絵とことば 筒井大介 編 創元社
編者は絵本の編集者で、東日本大震災を境に、出る絵本の傾向が変わったと感じるとまえがきに記載されていました。そこで、絵本作家32人にあの日の記憶やそれ以来抱え込んでいるそれぞれの思いを聞いてみたいと企画され、1冊の本になったのがこの本でした。東北の被災者ではないけれど、何も被っていないとは言えないそれぞれの絵本作家たちのごくごく個人的なエピソードの集積でできた些細な物語なのですが、みんなあの日以来地続きの日々を生きていて、ただただ抱え込んで生きているという作者のまえがきがこの本の標題をあらわしていたように思います。その中で、ヨシタケシンスケさんの『あの日からのワタシ』や長谷川義史さんの『野球少年』や大畑いくのさんの『ガランガランと鐘が鳴る』がとても印象に残りました。あの日、大阪にいた私は前の職場で会議に出席中でした。最初は、静かな会議の途中、身体が左右に揺れていたので病気にでもなったのではないだろうかと思ってしまった記憶が今でも残っています。横揺れが数分続いて、そのしばらく後にも、二度も横揺れが続いたことや会議室の窓から外を見ると木々が大変揺れていたことや隣に座っていた同僚たちが携帯で地震の情報を見ておられたことも覚えています。そのときの地震で何も被っていない人々が日本中にたくさんいるけれど、それぞれの人々が経験したあの日からは皆地続きで生きていて、それぞれのあの日の思いを重ねることができる瞬間に、微かな未来を感じ取れたらいいなあという願いが込められた本だったような気がします。
編者は絵本の編集者で、東日本大震災を境に、出る絵本の傾向が変わったと感じるとまえがきに記載されていました。そこで、絵本作家32人にあの日の記憶やそれ以来抱え込んでいるそれぞれの思いを聞いてみたいと企画され、1冊の本になったのがこの本でした。東北の被災者ではないけれど、何も被っていないとは言えないそれぞれの絵本作家たちのごくごく個人的なエピソードの集積でできた些細な物語なのですが、みんなあの日以来地続きの日々を生きていて、ただただ抱え込んで生きているという作者のまえがきがこの本の標題をあらわしていたように思います。その中で、ヨシタケシンスケさんの『あの日からのワタシ』や長谷川義史さんの『野球少年』や大畑いくのさんの『ガランガランと鐘が鳴る』がとても印象に残りました。あの日、大阪にいた私は前の職場で会議に出席中でした。最初は、静かな会議の途中、身体が左右に揺れていたので病気にでもなったのではないだろうかと思ってしまった記憶が今でも残っています。横揺れが数分続いて、そのしばらく後にも、二度も横揺れが続いたことや会議室の窓から外を見ると木々が大変揺れていたことや隣に座っていた同僚たちが携帯で地震の情報を見ておられたことも覚えています。そのときの地震で何も被っていない人々が日本中にたくさんいるけれど、それぞれの人々が経験したあの日からは皆地続きで生きていて、それぞれのあの日の思いを重ねることができる瞬間に、微かな未来を感じ取れたらいいなあという願いが込められた本だったような気がします。