レンタル店で借りてきて観た映画2本目は『アイ・フィール・プリティ!』でした。自分のルックスに引け目を感じていて、何事にも消極的なレネー(エイミー・シューマー)は、自分を変えるためにジムに通い始めますが、ジムで頭を打って意識を失います。目覚めたとき、なぜか彼女は自分が超美人に変身したと思い込み、性格も前向きに変わっていたというストーリー。自分に自信がないぽっちゃり女子の主人公レネーが、自信を得たことで輝きを増していく姿を描いた楽しくてほんわかしたコメディ映画でした。外見だけを重視せずに、自然体で明るく生きていくレネーが自分の個性や人柄に自信を取り戻していく姿が格好良かったです。外見だけで人を判断する人も多い世の中ですが、外見だけではない、人としての本当の心の美しさや人柄をちゃんと理解できる人もこの世の中にはたくさんいて、誰でも身近に自分では自覚していないような自分の本当の姿を認めてくれている人たちが必ずいるということ、その人たちを大切にすることの尊さもこの映画で教えてくれたように思います。また、心の持ち方次第で人生は開けていくのかもしれないと思わせてくれる、前向きになれそうな映画でもありました。
『アイ・フィール・プリティ!』の映画を見ていて思い出したことがありました。随分昔の幼稚園の頃のお話です。当時、担任の先生のお子さんがお出来になられて、母がお祝いを持って行っていたのを幼稚園に通っていたときから私は知っていました。幼稚園時代、担任の先生が何かと目を掛けてくださって、劇の主役や音楽会のときにはほかのみんなとは違う目立つ楽器で一番前で演奏しないといけなかったことなど、当時自分自身に自信が持てなかった(今もそうですが)幼稚園時代でした。この担任の先生が、目立つ役割ばかり担うようにされたことが、全部この母のお祝いを持って行ったからそのお返しのつもりなんだと幼稚園時代の当時からずっとそう思ってきました。そのことを大人になってから母に聞いてみたことがありました。母がお祝いを手渡したのはほとんどの保護者の方々がお祝いを渡されてたからだったからということを教えてくれました。このときに初めて理解できました。担任の先生は母がお祝いの品物を持っていっただけで私にいろいろと目立つ役を担うようにしてくださったわけではなかったということだったのです。幼少時に幼稚園の担任の先生に、認めていただいていたということを大人になってからやっと理解できたというのは情けないですね。劇の主役は、練習時に大きい声を出してセリフを言いなさいと言われていたのに目立つのが嫌だった私は、わざと大きな声を出さないで目立たない、小人役にしてもらったことがありました。人の前に出るのを避けるような引っ込み思案の私がもっと違っていたら今とは違う人生を歩んでいたのかもしれないと思うと親不孝なことをたくさんしてきたなあと思います。ずっと自信を持ったことがないどんな方でも自分を認めてくれる方が誰にでもあるということなんだと思います。映画の中の主人公の自然体でのびのび生きている姿を見たら、自分の中で封じ込めていたり、閉じ込めていたものが今さらながらなんだかちっぽけなことだったかのように思いました。過去の人生はもう取り戻せないことが多いですが、残り少なくなってきた後の人生をこの映画の主人公みたいにもっと自然体で生きていくことの大切さを今は思い返しています。