川名津柱松と同様の行事は、山口県に数カ所見られ、その共通性には驚かされる。
川名津と同じく松登りの神事を行っているのは、山口県岩国市行波、柳井市伊陸、熊毛郡田布施町大波野、同平生町曽根であり、いずれも神舞と呼ばれる神楽と一体の行事となっている。川名津も神楽と柱松が一体であり、これらは、荒神神楽に九州の英彦山の松会の祭礼が合体したものと考えられている。川名津柱松と山口県の神舞の歴史的な交流は全く不明であるが、山口県のものと同系統であることには違いはない。
例えば、伊陸の神舞は別名八席神楽ともいい、南山神社の二十五年目ごとに奉納される神事芸能である。前回は昭和五十五年三月二日に行われており、次回は平成十五年に行われる予定となっている。登る松の高さは平年で十二間(約二十一メートル)、閏年で十三間であり、これは川名津柱松と全く共通する。山に入って適当な松を選定し、そこで神事を行って伐採する。その松を神舞を舞う神殿から三十メートル離れた場所に立てる。立てた松を関松と呼ぶ。神楽の奉納の最後に、短刀を持った九人の若者や鬼役が関松まで舞いながら行き、神主のお祓いの後に松登りがある。白鉢巻きをして松を登って行き、関松の先端に日、月、星のあんどんを三つ立て、その中のローソクに火をつけてから紙吹雪を撒き散らし、それが流れた方向の綱から逆さまに降りてくるが、途中で片手でぶら下がったり、曲芸的な見世物で観衆をはらはらさせる。この点も同じである。川名津のように松明を背負って登るわけではないが、柱上で火を灯すことは共通している。川名津柱松の由来を調べるには、山口県と九州の英彦山の松会などとの比較が今後必要となるだろう。
さて、川名津柱松で立てられた松の土台に、関(せき)と呼ばれる高さ二メートル程の壇が設けられる。伊陸の神舞でも松のことを関松と呼んでいるが、関とは一般に国境や要所にある検問所つまり関所のことであり、境界を示す言葉である。
柱松行事では厄火祓いをするが、祓われた厄をダイバン(鬼)が松に登って昇華させる。関という壇は、神楽殿と松との中間にあり、模擬的にこの世とあの世または地上と天を分ける境界を示すために設置されていると考えることができる。この世(地上)の厄を、関を通過させ、ダイバンが松に登ることであの世(天)へ祓え捨てるのである。伊陸の関松も同じ意味であろう。
このように、川名津や山口県に見られる関(せき)の存在は、柱松の世界観を明らかにする指標となるのである。
2000年05月04日 南海日日新聞掲載