先日、東宇和郡明浜町を散策したのだが、平成8年に、明浜の町おこし活動をやっている方々から「うど貝」という珍味を食べさせてもらったことをふと思い出した。
うど貝とは何物ぞ?
当時、朋友岡崎直司氏から「明浜で、今度、うど貝という珍しい貝を食べる機会を得たので来てみんか」と誘われたもののどんな貝なのか分けわからず・・・。
手許にあった広辞苑を引いても「うど貝」なんて載ってない。
「独活の大木」の諺どおり身体大きく役立たずの貝を想像し、石灰岩に寄生するという情報はもらっていたので、日吉村出身の地質学者大野作太郎が石灰岩の中から発見したミーコセラス貝(アンモナイト)の姿も頭をかすめた。
「そんな物食べておいしいのだろうか・・・。」半信半疑、私は参加してみたのである。 うど貝とは石灰岩の中に自ら穴をつくり、そこに寄生する貝であった。すまし汁にして食べてみたが、これが美味。明浜はかつて石灰基地であったため、他の地方では食べない(もしくは石灰岩が近くにないから生息しない)うど貝を、食する文化を発達させたのだろう。(明浜の町おこしの素材として活用できるか?)
うど貝を食べた数日後、「明浜うど会通信」なるものが送られてきた。浜の人の行動の速さには驚かされたが、驚いてばかりもいられない。うど貝を食べさせてもらった以上、私も何かやらなくてはと思い、「うど」の語源について調べてみたのである。
「うど」とは、「うつ(空)」が変化した語のようである。『続無名抄』という江戸時代の随筆に米が空っぽになることが「コメウトニナル」と表現されている。現在の方言を調べてみると、山口県祝島、徳島県美馬郡、愛媛県、高知県幡多郡、大分県など、四国から九州にかけての地域では洞穴のことを「うど」と呼んでいる。愛媛県中島町では「うどあな」ともいっている。東海地方になると、うどは川岸のえぐれているところをさすらしい(日本国語大辞典参照)。これら古語、方言をかんがみ、「うど貝」を漢字で表現するとすれば「空貝」となろうか。
「明浜うど会」も漢字で書くと「空会」。しかし、それでは味気ない。私なりに「うど」を掛けていうなら、「有道」に掛けてみたい。これは曹洞宗の道元禅師が著わした『正法眼蔵』によく出てくる言葉である。仏道修行に励んで怠らないことを指すが、進むべき道を持つことが大切であることも意味している。つまり、進むべき道有りて修行すれば自然とさとりの道に近づくことができるということである。
「明浜うど会」(今も活動しているか不明だが)は発足して間もないまさに「空」の会であろうが、「空なれども進むべき道は有り」、様々な町おこし活動を通して中身を充実させていく、これが明浜の「うどの精神」とでも言えようか。
2000年05月17日