愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

南予地方の牛鬼1

2000年05月18日 | 八幡浜民俗誌
 牛鬼は南予地方周辺地域の祭礼に登場する顔は牛とも鬼ともつかない形相で、胴体は牛を、尻尾は剣をかたどった練物の一種で、神輿渡御の先導を務め、悪魔祓いをしてまわる。 この牛鬼の出る祭りは愛媛県南予地方のほぼ全域のほか、上浮穴郡小田町、越智郡菊間町にあり、かつては、上浮穴郡柳谷村や久万町にもあった。また、南予地方と隣接する高知県側では檮原町、十和村、大正町、西土佐村、宿毛市に分布し、その数は約百五十箇所にのぼる。このように牛鬼は旧宇和島・吉田藩領を中心として、その周辺地域に分布しており、旧大洲、新谷藩領内でも宇和島に近い地域に濃厚に見られる傾向があるなど、旧宇和島藩領からその周辺に伝播したと考えられている。なお、旧宇和島藩内にて牛鬼が各地に伝播した要因の一つとしては、宇和島藩の一宮といわれる宇和島市の宇和津彦神社祭礼を藩領内各地の神社が模倣したことにより広まったことが挙げられる。 牛鬼がいつの頃から祭礼に登場するようになったかは不明であるが、一八世紀後半以降南予地方各地の祭礼に登場していることが確認できる。なお、史実とは異なるが、牛鬼の起源伝承として、加藤清正が朝鮮出兵の際に敵を威圧するために用いたのが始まりであるとか、大洲太郎が赤布で牛鬼を作って敵を退治したとか、宇和島藩主の許しを得て、狼退治のために牛鬼を作ったのが始まりであるなどと、様々な起源伝承が各地にある。 牛鬼の呼称については、「ウシオニ」、「ウショーニン」、「オショウニン」等があるが、江戸期の文献史料に「牛鬼」と表記されており、「ウシオニ」が原初的な呼称である。 牛鬼の一般的な形態としては、ドンガラと呼ばれる胴体が全長三から七メートル程で、竹を割って牛の胴体のように編まれ、赤や黒布もしくはシュロの毛で覆われている。尻尾は剣を象ったもので、木製である。首は全長二から四メートルほどの丸太でつくられ、その先に頭をつける。頭は牛とも鬼ともつかないような形相で、張り子で製作される。これは江戸時代後期製作のものも同様であり、木製のものは確認できない。 牛鬼の祭礼の中での役割は、神輿渡御の先導・露祓いや地区内の悪魔祓いなどの祓え的機能が基本的性格である。なお、神社祭礼だけではなく、七夕や盆に牛鬼が登場する地区もある。宇和町窪や明石では、盆の先祖霊を迎えるために牛鬼で家々を祓い清めるのである。牛鬼の顔の形相の恐ろしさは、祓いを一義としていることからきているのであろう。

2000年05月18日 南海日日新聞掲載

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