goo blog サービス終了のお知らせ 

愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

尾州の啼地蔵と四国

2000年05月12日 | 信仰・宗教
『綜合日本民俗語彙』を流し読みしていて偶然見つけた項目。
啼地蔵(ナキジゾウ)
「愛知県丹羽郡小折常観寺にある。国に異変がある前には汗を流してこれを予報したという。むかし盗人が盗み出し四国まで背負っていったが、さまざまな不思議があったので怖れをなし、沢のほとりで棄てた。その地に毎夜光りものがあり、赤子の啼声が聞こえた。ある下人にこの地蔵様が憑いて狂い、もとへ帰さぬと祟るぞとわめいたので、探しだして尾州へ送り返したという(張州府志)」
何故、盗人は四国まで地蔵を背負って行ったのだろうか。尾州の話なのに四国が関係してくるのが不思議である。
そういえば、以前、遍路札所の納め札(巡礼者の住所、氏名が記載されている)を分析したことがあるのだが、四国を巡礼する遍路を県別に見ると、尾州(愛知県)の人が他県に比べて多かった。遍路と直接的には関係ないだろうが、関連づけて考えてみたくなる。
四国遍路や、例えば今昔物語集第十五に出てくる僧長増の話(比叡山から突然姿を消して四国に渡る話)からは、四国が宗教的に非日常性を帯びた空間であるように思えるのだが、この啼地蔵の話からもその性格が垣間見えるのではないかと、突飛ではあるが考えてみた。

2000年05月12日

老若の弘法大師像

2000年05月12日 | 信仰・宗教

 愛媛をはじめ、四国には弘法大師の仏像がいたるところにある。真言宗寺院をはじめ、四国遍路道沿いの各所に堂庵があり、弘法大師像を祀っていることが多いのである。この弘法大師像は、左手に五鈷杵、右手に数珠をとる姿がほとんどで、像容としてはわかりやすいものだ。
 私は、二年前の九月に福井県小浜市の明通寺(真言宗御室派)を拝観した。そこにも弘法大師像が祀られていたのであるが、その像容には少し驚かされた。顔に皺がよっており、年輩(老人)の姿の弘法大師だったのだ。
 日頃、私が四国で見ていた弘法大師像は、顔は福々しく、精気みなぎる成年像である。年老いた弘法大師像は見たことがなかった。(それにしても大師は62歳で入定しているのだから老人像には違和感があるのだが・・・。)全国的にも、国指定重要文化財になっている有名な大師像(例えば京都神護寺、六波羅蜜寺、神奈川の青蓮寺、奈良法隆寺など)があるが、これらもみな成年像である。
 四国において年老いた弘法大師像は似合わない。なぜなら、四国は大師の修行の地とされており、それに対する信仰であるなら、若い像容でなくてはいけない。(満濃池をつくったのは晩年だが。)
 四国以外であれば、修行を終えて、入唐後、宮廷にも深く関与した以後の大師に対する信仰としての像容は年老いていてもよいのだろう。
 弘法大師に限らず、こういった祖師像については、像容の老若によって信仰の内容も異なるのではないかと勝手に考えた次第である。
 それにしても、四国に数多く残る弘法大師像を広く調査した成果については、私は未だ知らない。仏像研究は中世以前が主であり、江戸時代以降の製作のものについては研究対象とされにくいためだろうか。石仏研究のように、身近にある大師像の年代比定が可能になるような、類型化された研究成果があれば良いのだが・・・。

2000年05月12日