五十崎町の山本茂慎氏から、鏝絵(こてえ)に関する資料を送っていただいた。内子町・五十崎町の鏝絵分布マップである。
実は、現在、愛媛では「えひめ鏝絵の会」の会員により、鏝絵の調査が進められている。(鏝絵は地域の隠れた文化財だということで注目されつつある。大分県ほどでは無いけれど・・・。)
そもそも鏝絵とは、民家の母屋や土蔵の壁、戸袋などに、龍や恵比寿、大黒などを、漆喰をもってレリーフしたもの(図像学的に非常に面白い!)。江戸時代末期に入江長八によって作られたのが起源といわれている。明治時代になり、その弟子たちや多くの左官によって全国に広まった(といわれている)。入江長八とは、「伊豆の長八」とも呼ばれ、1815年に伊豆の松崎町(現静岡県)生まれ。江戸の商家等に彩色をもった鏝絵を多く製作している。鏝絵は長八が江戸日本橋茅場町の薬師堂建立にあたり、柱に漆喰で龍を彫刻したことにより広まったといわれている。明治10年に明治政府が主催した「内国勧業博覧会」に出品した鏝絵が花紋賞牌を受賞。新聞のニュースとなって長八の名が全国へ広まった。長八の作品については、現在、伊豆の長八美術館等にて保存、展示されている。
この鏝絵の分布としては全国各地に散在している。最も多く確認されているのが大分県で、700点程。504点確認されている愛媛県はそれに次ぐ多さである(えひめ鏝絵の会調査、平成11年3月現在。ここ一年でさらに発見されているので600点くらいか。このままいけば、大分の700点を越えるか?)。
全国的な特徴を大まかにまとめてみると以下のとおりになる。
気仙左官(岩手県)
「高さ約1メートルの丸物の唐獅子など、立体彫刻的。花弁一枚一枚を造り、組合せ牡丹にするような丁寧な仕事」
小杉左官(富山県)
「全長8メートルに渡る壁面から約15センチ浮き出た双龍は彫刻的。色付や、細かい描き込みは繊細で絵画的」
石州左官(島根県)
「入母屋屋根妻側一面に装飾。下絵を用いる。目玉にガラス。彫刻を埋め込んだような奉納額は立体的」
東予の左官(愛媛)
「梁隠しを兼ねた小規模な鏝絵。彫り込みは浅い。円形の梁隠しの中いっぱいに表現する」
安心院・日出の左官「多彩で鮮やかである。繊細な鏝絵から簡単に仕上げた鏝絵まで多様にみられる。彫り込みは少ない」
(参考:石井達也「鏝絵の地域的分布と左官技術の展開2」『左官教室』No.513)
昨年3月に佐渡の相川郷土館を訪れた。そこには土蔵の扉に巨大なムカデの鏝絵が施されていた。実に大がかりなもので、富山といい、日本海側の鏝絵の装飾の派手さには驚かされる。愛媛や大分は総じて小振りな鏝絵が多いようだ。
この鏝絵は、建築様式に変化により、白壁とともに消えようとしている。
左官職人の技と芸術が、見向きもされないまま、消滅しようとしているのだ。
この鏝絵については、大分の藤田洋三氏、東大名誉教授の村松貞次郎氏によって、評価がなされ、その影響で愛媛でも岡崎直司氏、越智公行氏、そして今回資料を送っていただいた山本氏らが発掘、調査活動を行っているが、大分県の安心院や日出のように行政も絡んで保存活動が展開できれば理想的。(唯一の例は、東予市の「雲龍」の鏝絵。近藤誠さん達の尽力のおかげです。)
それにしても、大分の藤田さんが鏝絵の写真集を出す準備をしていると言ってたけれど、もう刊行されたのだろうか。早く見てみたいものです。
(参考までに私の方で以前まとめた鏝絵関係文献目録を掲載しておきます。)
2000年05月10日
実は、現在、愛媛では「えひめ鏝絵の会」の会員により、鏝絵の調査が進められている。(鏝絵は地域の隠れた文化財だということで注目されつつある。大分県ほどでは無いけれど・・・。)
そもそも鏝絵とは、民家の母屋や土蔵の壁、戸袋などに、龍や恵比寿、大黒などを、漆喰をもってレリーフしたもの(図像学的に非常に面白い!)。江戸時代末期に入江長八によって作られたのが起源といわれている。明治時代になり、その弟子たちや多くの左官によって全国に広まった(といわれている)。入江長八とは、「伊豆の長八」とも呼ばれ、1815年に伊豆の松崎町(現静岡県)生まれ。江戸の商家等に彩色をもった鏝絵を多く製作している。鏝絵は長八が江戸日本橋茅場町の薬師堂建立にあたり、柱に漆喰で龍を彫刻したことにより広まったといわれている。明治10年に明治政府が主催した「内国勧業博覧会」に出品した鏝絵が花紋賞牌を受賞。新聞のニュースとなって長八の名が全国へ広まった。長八の作品については、現在、伊豆の長八美術館等にて保存、展示されている。
この鏝絵の分布としては全国各地に散在している。最も多く確認されているのが大分県で、700点程。504点確認されている愛媛県はそれに次ぐ多さである(えひめ鏝絵の会調査、平成11年3月現在。ここ一年でさらに発見されているので600点くらいか。このままいけば、大分の700点を越えるか?)。
全国的な特徴を大まかにまとめてみると以下のとおりになる。
気仙左官(岩手県)
「高さ約1メートルの丸物の唐獅子など、立体彫刻的。花弁一枚一枚を造り、組合せ牡丹にするような丁寧な仕事」
小杉左官(富山県)
「全長8メートルに渡る壁面から約15センチ浮き出た双龍は彫刻的。色付や、細かい描き込みは繊細で絵画的」
石州左官(島根県)
「入母屋屋根妻側一面に装飾。下絵を用いる。目玉にガラス。彫刻を埋め込んだような奉納額は立体的」
東予の左官(愛媛)
「梁隠しを兼ねた小規模な鏝絵。彫り込みは浅い。円形の梁隠しの中いっぱいに表現する」
安心院・日出の左官「多彩で鮮やかである。繊細な鏝絵から簡単に仕上げた鏝絵まで多様にみられる。彫り込みは少ない」
(参考:石井達也「鏝絵の地域的分布と左官技術の展開2」『左官教室』No.513)
昨年3月に佐渡の相川郷土館を訪れた。そこには土蔵の扉に巨大なムカデの鏝絵が施されていた。実に大がかりなもので、富山といい、日本海側の鏝絵の装飾の派手さには驚かされる。愛媛や大分は総じて小振りな鏝絵が多いようだ。
この鏝絵は、建築様式に変化により、白壁とともに消えようとしている。
左官職人の技と芸術が、見向きもされないまま、消滅しようとしているのだ。
この鏝絵については、大分の藤田洋三氏、東大名誉教授の村松貞次郎氏によって、評価がなされ、その影響で愛媛でも岡崎直司氏、越智公行氏、そして今回資料を送っていただいた山本氏らが発掘、調査活動を行っているが、大分県の安心院や日出のように行政も絡んで保存活動が展開できれば理想的。(唯一の例は、東予市の「雲龍」の鏝絵。近藤誠さん達の尽力のおかげです。)
それにしても、大分の藤田さんが鏝絵の写真集を出す準備をしていると言ってたけれど、もう刊行されたのだろうか。早く見てみたいものです。
(参考までに私の方で以前まとめた鏝絵関係文献目録を掲載しておきます。)
2000年05月10日