愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

鏝絵(こてえ)について

2000年05月10日 | 衣食住
 五十崎町の山本茂慎氏から、鏝絵(こてえ)に関する資料を送っていただいた。内子町・五十崎町の鏝絵分布マップである。
 実は、現在、愛媛では「えひめ鏝絵の会」の会員により、鏝絵の調査が進められている。(鏝絵は地域の隠れた文化財だということで注目されつつある。大分県ほどでは無いけれど・・・。)
 そもそも鏝絵とは、民家の母屋や土蔵の壁、戸袋などに、龍や恵比寿、大黒などを、漆喰をもってレリーフしたもの(図像学的に非常に面白い!)。江戸時代末期に入江長八によって作られたのが起源といわれている。明治時代になり、その弟子たちや多くの左官によって全国に広まった(といわれている)。入江長八とは、「伊豆の長八」とも呼ばれ、1815年に伊豆の松崎町(現静岡県)生まれ。江戸の商家等に彩色をもった鏝絵を多く製作している。鏝絵は長八が江戸日本橋茅場町の薬師堂建立にあたり、柱に漆喰で龍を彫刻したことにより広まったといわれている。明治10年に明治政府が主催した「内国勧業博覧会」に出品した鏝絵が花紋賞牌を受賞。新聞のニュースとなって長八の名が全国へ広まった。長八の作品については、現在、伊豆の長八美術館等にて保存、展示されている。
 この鏝絵の分布としては全国各地に散在している。最も多く確認されているのが大分県で、700点程。504点確認されている愛媛県はそれに次ぐ多さである(えひめ鏝絵の会調査、平成11年3月現在。ここ一年でさらに発見されているので600点くらいか。このままいけば、大分の700点を越えるか?)。

全国的な特徴を大まかにまとめてみると以下のとおりになる。
気仙左官(岩手県)
「高さ約1メートルの丸物の唐獅子など、立体彫刻的。花弁一枚一枚を造り、組合せ牡丹にするような丁寧な仕事」
小杉左官(富山県)
「全長8メートルに渡る壁面から約15センチ浮き出た双龍は彫刻的。色付や、細かい描き込みは繊細で絵画的」
石州左官(島根県)
「入母屋屋根妻側一面に装飾。下絵を用いる。目玉にガラス。彫刻を埋め込んだような奉納額は立体的」
東予の左官(愛媛)
「梁隠しを兼ねた小規模な鏝絵。彫り込みは浅い。円形の梁隠しの中いっぱいに表現する」
安心院・日出の左官「多彩で鮮やかである。繊細な鏝絵から簡単に仕上げた鏝絵まで多様にみられる。彫り込みは少ない」
(参考:石井達也「鏝絵の地域的分布と左官技術の展開2」『左官教室』No.513)
 昨年3月に佐渡の相川郷土館を訪れた。そこには土蔵の扉に巨大なムカデの鏝絵が施されていた。実に大がかりなもので、富山といい、日本海側の鏝絵の装飾の派手さには驚かされる。愛媛や大分は総じて小振りな鏝絵が多いようだ。

 この鏝絵は、建築様式に変化により、白壁とともに消えようとしている。
 左官職人の技と芸術が、見向きもされないまま、消滅しようとしているのだ。
 この鏝絵については、大分の藤田洋三氏、東大名誉教授の村松貞次郎氏によって、評価がなされ、その影響で愛媛でも岡崎直司氏、越智公行氏、そして今回資料を送っていただいた山本氏らが発掘、調査活動を行っているが、大分県の安心院や日出のように行政も絡んで保存活動が展開できれば理想的。(唯一の例は、東予市の「雲龍」の鏝絵。近藤誠さん達の尽力のおかげです。)

 それにしても、大分の藤田さんが鏝絵の写真集を出す準備をしていると言ってたけれど、もう刊行されたのだろうか。早く見てみたいものです。

(参考までに私の方で以前まとめた鏝絵関係文献目録を掲載しておきます。)

2000年05月10日

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鏝絵関係文献目録

2000年05月10日 | 衣食住

鏝絵に関する文献目録(稿)
『消えゆく左官職人の技 鏝絵』、1996年、藤田洋三、 小学館
「宇佐・院内・安心院地域にみる鏝絵」長田明彦・藤田洋三・貞包博幸、大分大学教育学部
写真集『鏝絵』(刊行予定)藤田洋三、石風社
『季刊銀花』49号 「豊の国の鏝絵」、1982年、澤渡歩、文化出版局
『季刊銀花』64号 「サフラン酒の蔵」、1985年、藤森照信、文化出版局
『季刊銀花』114 夏の号 特集 鏝絵「文明開花」、1998年、文化出版局
『日出の鏝絵』 「日出町史」所収、1986年、藤田洋三、日出町史
『地域政策・鏝絵連合王国』、1993年、村松貞次郎、自治省
『特集左官読本 漆喰って何だ』 建築知識5月号、1989年
『鏝(KOTE)-伊豆長八と新宿の左官たち-』、1996年、新宿区立新宿歴史博物館
『伊豆長八』、1980年(復刻)、結城素名、伊豆長八作品保存会刊、芸艸社
『伊豆長八作品集 上・下巻』、1992年、松崎町振興公社
日本の『創造力』御一新の光と影、1992年、日本放送出版協会
『名工伊豆長八』1958年、白鳥金次郎、伊豆長八作品保存会
「松崎に現存する伊豆長八の作風について」、菅原篤、明治大学
「稲荷神社本殿の彫刻・作者伊豆長八について」高橋直司
『開かずの間の冒険』1991年、荒保宏、平凡社
『左官教室』21 「古きをたずねて新しきを知る」、1958年、池戸庄次郎、黒潮社
『左官教室』142 「こて絵彫刻工法」、1968年、池戸庄次郎、黒潮社
『左官教室』442 特集/大分鏝絵シンポジウム 庶民の文化「鏝絵」に光!、1993年、黒潮社
『左官教室』466 鏝絵通信その21「京都の鏝絵-鏝絵探訪2-」、1995年、今井明、黒潮社
『左官教室』471 特集/大分の鏝絵「宇佐・院内・安心院地域にみる鏝絵」、1995年、長田明彦・藤田洋三・貞包博幸、黒潮社
『左官教室』477 鏝絵通信その25「安心院町鏝絵シンポジウム」、1993年、沢畑亨、黒潮社
『左官教室』479 鏝絵通信その27「石州左官をおっかけて井沼田桝市(その2)」 、1996年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』479 鏝絵通信その28「石州左官児島嘉六について」、1996年、上田勝俊、黒潮社
『左官教室』482 鏝絵通信その30「ナンバン漆喰と土佐漆喰のルーツ」、1996年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』483 鏝絵通信その31「宇佐左官と石灰」、1996年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』484 鏝絵通信その32「こて絵の世界展」、1996年、中島忠雄、黒潮社
『左官教室』484 鏝絵通信その33「若桜街道・鏝絵観察記」、1996年、上田勝俊、黒潮社
『左官教室』486 鏝絵通信その33「石灰を食べる話」、1996年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』487 鏝絵案内 全国「鏝絵の会」及び鏝絵資料(1)、1997年、黒潮社
『左官教室』488 鏝絵通信その34「終わりか始まりか?」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』489 鏝絵通信その36「美作路(津山近郊)巡検同行記」、1997年、赤松壽郎、黒潮社
『左官教室』489 鏝絵通信その37「赤崎町タック谷鏝絵紀行」、1997年、上田勝俊、黒潮社
『左官教室』490 鏝絵通信その38「東北に鏝絵を求めて」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』491 特集/鏝絵の保存について 「金太郎のお引っ越し」顛末記、1997年、岡崎直司、黒潮社
『左官教室』491 「鏝絵の技法と鏝絵にみる保存の在り方」、1997年、佐藤和佳子、黒潮社
『左官教室』492 「鏝絵の技法と鏝絵にみる保存の在り方2」、1997年、佐藤和佳子、黒潮社
『左官教室』493 鏝絵通信その39「初めてのヨーロッパ」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』495 「鏝絵の技法と鏝絵にみる保存の在り方3」、1997年、佐藤和佳子、黒潮社
『左官教室』495 鏝絵通信その41「東北に鏝絵を求めて2」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』496 「鏝絵の技法と鏝絵にみる保存の在り方3」、1997年、佐藤和佳子、黒潮社
『左官教室』496 鏝絵通信その43「鏝絵は地霊の刻印だ」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』498 特集/「大黒様の里-奈義町の鏝絵-」、1997年、黒潮社
『左官教室』498 「奈義町は岡山の鏝絵王国」、1997年、赤松壽郎、黒潮社
『左官教室』498 鏝絵通信その45「エコミュージアムin津山」、1997年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』500 鏝絵通信その47「ロマネスクな鏝絵を求めて」、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』501 「左官職人の技-高橋興一の鏝絵-」、1998年、赤松壽郎、黒潮社
『左官教室』501 「日野鏝絵紀行」、1998年、上田勝俊、黒潮社
『左官教室』501 鏝絵通信その48「INAXエクサイトヒルは不滅だ!」、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』503 特集日本のロマネスク2 鏝絵、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』503 鏝絵通信その50「オ石灰探偵団四国路を行く!パート1高知編」 1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』505 鏝絵通信52「オ石灰探偵団四国路を行く!パート3愛媛今治編」 1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』506 「土壁に泥の鏝絵-驚くべき土壁のいのち-」1998年、赤松壽郎、黒潮社
『左官教室』506 鏝絵通信その53「再び長野を訪れる」1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』507 「左官職人の技・伊予の鏝絵写真展」1998年、岡崎直司、黒潮社
『左官教室』507 「こうして鏝絵は残った」1998年、近藤誠、黒潮社
『左官教室』507 鏝絵通信その54「再々東北へ」1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』508 鏝絵の地域的分布と左官技術の展開、1998年、石井達也、黒潮社
『左官教室』508 鏝絵通信その55「群馬三国街道を歩く その1」、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』509 鏝絵通信その55「群馬三国街道を歩く その2」、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』510 「漁村の土蔵と鏝絵-丹後の舟屋集落にみる土蔵と鏝絵-」、1998年、赤松壽郎、黒潮社
『左官教室』510 鏝絵通信その57「書を捨てよ田舎を歩こう」、1998年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』512 「『招福辟邪』鏝絵」、1999年、岡沢まどか、黒潮社
『左官教室』512 鏝絵通信その59「瀬戸内鏝絵連合王国」、1999年、藤田洋三、黒潮社
『左官教室』513 鏝絵案内 全国「鏝絵の会」及び鏝絵資料(2)、 石井達也、黒潮社
『小杉左官 竹内源三』 富山県小杉町史、1991年、田村京子、富山県小杉町
『小杉左官鏝絵の名人竹内源造』1994年、小杉町史編纂室
「嘉飯山も鏝絵」『嘉飯山郷土研究会会報』8号、1994年、中島忠雄・山本浩一郎
「庶民の美9 漆喰絵」『芸術生活』250、1970年、高橋正雄、芸術生活社
「思楽老コテばなし」斎藤隆介『職人衆昔ばなし』1967年、池戸庄次郎、文芸春秋社
『鏝なみはいけん石州左官の技』大田市役所
「蔵飾り」上田勝俊 五彩庵文庫(自家版、鳥取市)
「石州左官の技写真展」町並み交流センター(島根県大田市)
「大黒様のさと-奈義町の鏝絵-」赤松壽郎(自家版、岡山県御津町)
「御津町の鏝絵」赤松壽郎(自家版、岡山県御津町)
「愛媛県東予地域鏝絵と左官職人たち」越智公行(自家版、愛媛県今治市)
「東予市鏝絵地図-愛媛県東予市楠河・庄内・吉岡地区にみる鏝絵調査報告書-」1997年、愛媛県立東予工業高等学校建築科「鏝絵研究会」
「白壁に残る左官職人芸 鏝絵」『アトラス』2、1997年、越智公行 (有)インデクス内・アトラス編集部
「酒蔵の意匠」『アトラス』10、1999年、岡崎直司、(有)インデクス内・アトラス編集部
『月刊土佐』32号 特集漆喰妻飾り、1986年、和田書房
『熊本の鏝絵』1992年、石井清喜、長野工業50年史
『職人文化の世界』1987年、大分県宇佐風土記の丘歴史民俗資料館
『常設展示 豊の国・おおいたの歴史と文化』1998年、大分県立歴史博物館
『まちのデザイン 歩き目デスは見た!』1997年、岡崎直司、創風社出版
『デザイン発見・壁絵のある家』1~4、1988~9年、松味利郎 京都書院

鏝絵関連文献
『日本壁の研究』1942年、川上邦基、水土文庫
『日本壁の研究』1943年、川上邦基、竜吟社
『日本壁の話』1980年、山田幸一、鹿島出版会
『ものと人間の文化史 45 壁』1981年、山田幸一、法政大学出版局
『石灰群書』1980年、涌井荘吉、日本石灰協会
『土佐石灰業史』1975年、織田清綱、津久見石灰協業組合
『上方左官物語』1989年、大阪府左官工業組合
『左官職昔ばなし(遠州浜松松浦左官一家の覚書)』1976年、松浦伊喜三私家版
『佐渡相川の歴史・資料集八 「相川の民俗工」』1986年
『気仙大工気仙かべ技術写真帖/匠達への誘い』1981年、平山憲治、大船渡職業訓練協会
『気仙大工の歴史とその人物群像』1982年、平山憲治、大船渡職業訓練協会創立30周年史
『 工伝』1975年、須田昌平、文寿堂印刷所
『沓亀』伊藤菊三郎(覚え書き)
『基礎知識5月号』1989年、建築知識社
『日本壁の研究』1954年、中村伸、相模書房
『左官技術』1971年、鈴木忠五郎、彰国社
『日本建築学会標準仕様書・同解説』15・左官工事、1975年、日本建築学会(編)、技報堂
『左官工事』1981年、小俣一夫、井上書院
『日左連』日本左官業組合連合会
『日本の近代建築史 上』藤森照信、岩波書店
『明治を伝えた手』1969年、朝日新聞社
『レンズは見た-映像四十年の軌跡-』、1992年、新田好
『津久見石灰史』1975年、織田清氏綱、津久見石灰協業組合
『馬路教育史』1978年、馬路教育史編纂委員会
『三陸のむかしがたり 第18集』1997年、三陸老人クラブ連合会
『INAXBOOKLET 日本の壁』 Vol5、1985年

2000年05月10日

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