六、鬼北文楽(鬼北町)
鬼北町泉地区の出目に伝承された文楽。「鬼北文楽」の名は昭和三十四年に県の文化財指定にあたって命名されたもので、もともと「泉文楽」と呼ばれていた。その由来は、明治三十一(一八九八)年頃、この地を訪れる阿波(徳島県)の上村平太夫座が大雪で小屋が潰れ、人形・道具を横林村坂石(現西予市野村町)の個人に売却した。しかし一座のうち四名が泉村、二名が近隣に住みつき、地元の者が人形芝居を好む下地を作ったという。もともと泉村には素人芝居もあり、「一口浄瑠璃語らぬ者はない」といわれるほどであった。
昭和十(一九三五)年、泉村の愛好者であった個人が近永(現鬼北町)の人形役者梶田熊太郎とともに、横林村坂石の個人から上村平太夫座の残した頭、道具一式を譲り受け、泉文楽を開いた。
人形頭は、記名のあるもの十七点を含め、計四十二点あり、うち天狗久作が七点含まれている。昭和四十四(一九六九)年に所有者宅が火災に遭い、大部分が損傷を受けたが、県、町、地元ライオンズクラブや個人のチャリティー展の収益を経費として、徳島県の人形師による修理が継続的に行われ、昭和五十八年に修理が完了した。現在は中央公民館で展示公開され、教育委員会が管理している。そして、現在でも人形頭は、県の有形民俗文化財に指定されています。
また、人形修復にともない鬼北文楽保存会による活動も行われ、県内外の合同公演にも出場している。平成二十一年からは地元の小学校の総合学習の一環として、文楽の講習を行っている。