愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

沖縄の十六日祭

2011年03月06日 | 年中行事
先月18日、沖縄•石垣島で十六日祭を撮影してきたですが、その概要を辞典と県史の記述から紹介しておきます。


ジュールクニチ 旧暦1月16日。亡くなった人がはじめて迎える正月に親族が墓参を行い、重箱に料理を入れ、餅や供え物を持ち、水・酒・線香を供え、ウチカビ(紙銭)を燃やす。また、墓前ではサンシンを弾いて歌い、料理を食べ、祖先を供養する。宮古や八重山諸島ではこの日盛大に墓参を行う。(『沖縄民俗辞典』吉川弘文館、2008年より抜粋)


ジュールクニチ、ミーサともいうが、ミーサとは特に過去一年以内に死んだ新仏のある時にいうところもある。一般にこの日を後生(死者)の正月とする観念があり、墓に詣でて、祖先をなぐさめる日である。墓に一族そろって、重箱に餅、豆腐などを入れた供え物をもって出かけ、歓談をし時には三味線を弾いて祖先をなぐさめるところもあるという。墓詣りは新仏の出た家が中心となるという地域(今帰仁今泊、東村平良など)や普通の家も門中などがそろって墓詣りをして、特に新仏の家が他家より早目に出かけるという地域(大宜味村喜如嘉、国頭村(くみがみそん)与那、糸満兼城など)もあり変差が目立つ。首里、那覇においては「死後二ヶ年は盛大にお祭りする」(首里上儀保(うぃじーぶ)『沖縄民俗資料』第一集、文化財保護委員会編、一二九頁)ところや、「死者の正月とて墓前に廻燈籠を吊るして祖先を祭った。が那覇では三年目までの新仏の在るお墓しか詣らない」(島袋全発前掲書一八三頁)など儀礼の内容が農村部と都市部でもかなりちがっていたようである。

この行事は、祖先を供養するものとしてはほぼ琉球列島全域に分布しているようである。清明祭などが沖縄本島に主として行われ宮古、八重山に希薄であるのを考えると、清明祭より基層的、オリジナルな祖先祭祀と見ることができる。

徳之島では十六日正月と呼び、「十六日は一年中の三大厄日(一、五、九月の十六日)といって仕事を休む。本土でやぶ入りの日に当る。墓に白い砂を蒔き、墓前に花を活け、酒と水の初を上げ料理を供えて先祖を祭る。自分の先祖ばかりでなく、一族の墓前にも同様に供え物をして祭る。墓参りが済むと一同広場に集まって酒宴が開かれる」(『徳之島民俗誌』七四頁)とあり、加計呂麻ではこの日を悪日(アクニチ)と呼び、凶事のおこる日として山や海などへ仕事へ出るのを慎むという。山に関わる仕事をする者は山の神を祭る(『かけろまの民俗』一七五頁)。この日を凶日として仕事に出るのを忌むのは沖縄では北中城村熱田でみられる慣行である。(以上『沖縄県史』第23巻より抜粋)