最近、私が沖縄•奄美の正月に興味を持っているのは、正月における仏(先祖もしくは死者)の民俗を押さえておきたいからである。その問題の出発点は愛媛県をはじめ四国独特の行事である巳正月(巳午•辰巳、いわゆる仏さんの正月)をどう捉えるかである。
今回は、トカラ列島の七島正月の概要を下野敏見先生が簡潔にまとめている文章があるので、それを引用しておきます。
七島正月について この行事は、日本中で十島村だけにあります。但し、名称だけは奄美大島の笠利町の一部にあります。おそらく、十島村の方が移住して伝えたものでしょう。七島正月が正しい言い方ですが、十島正月ともいいます。旧暦十二月一日より六日まで(口之島は七日まで)ですが、十二月一日は七島正月。六日はオヤダマ祭りといいます。オヤダマ祭りは実際には十二月一日の日から毎日やっています。すなわち先祖祭りです。オヤダマのお発ちが十二月六日(口之島は七日)です。この日、ネーシ(巫女)が「オヤダマのおたちだ」と告げると、島の総代が鉄砲をうち鳴らして島民へ知らせるのが昔のやり方でした。このときは、オヤダマとともに浮遊霊(無縁仏)もいっせいに島を離れるといいます。この十二月一日から七日への正月の構造は、旧暦正月の一日から七日への構造とよく似ています。二日は船祝いもあったのも似ています。つまり、七島正月は、大昔、本土の古い正月が入ってきたものです。そのとき、十島村では気候の関係で、稲作など早くやっていましたので、それの収穫も早く、祭りなども早くする必要がありましたので、一ヶ月早めて旧暦十二月一日に正月を適用したのです。それがいつであったかは、むずかしい問題ですが、いろいろ考え合わせますと、中世の初め頃ではないかと思います。七島正月は十島村の全部の島で祝います。特に、オヤダマ(先祖)の棚をこしらえていろいろな供物をしてまつるという鄭重な儀礼は、日本の先祖祭りを考える上から重要です。
以上、下野敏見『南日本の民俗文化誌3 トカラ列島』より引用。
今回は、トカラ列島の七島正月の概要を下野敏見先生が簡潔にまとめている文章があるので、それを引用しておきます。
七島正月について この行事は、日本中で十島村だけにあります。但し、名称だけは奄美大島の笠利町の一部にあります。おそらく、十島村の方が移住して伝えたものでしょう。七島正月が正しい言い方ですが、十島正月ともいいます。旧暦十二月一日より六日まで(口之島は七日まで)ですが、十二月一日は七島正月。六日はオヤダマ祭りといいます。オヤダマ祭りは実際には十二月一日の日から毎日やっています。すなわち先祖祭りです。オヤダマのお発ちが十二月六日(口之島は七日)です。この日、ネーシ(巫女)が「オヤダマのおたちだ」と告げると、島の総代が鉄砲をうち鳴らして島民へ知らせるのが昔のやり方でした。このときは、オヤダマとともに浮遊霊(無縁仏)もいっせいに島を離れるといいます。この十二月一日から七日への正月の構造は、旧暦正月の一日から七日への構造とよく似ています。二日は船祝いもあったのも似ています。つまり、七島正月は、大昔、本土の古い正月が入ってきたものです。そのとき、十島村では気候の関係で、稲作など早くやっていましたので、それの収穫も早く、祭りなども早くする必要がありましたので、一ヶ月早めて旧暦十二月一日に正月を適用したのです。それがいつであったかは、むずかしい問題ですが、いろいろ考え合わせますと、中世の初め頃ではないかと思います。七島正月は十島村の全部の島で祝います。特に、オヤダマ(先祖)の棚をこしらえていろいろな供物をしてまつるという鄭重な儀礼は、日本の先祖祭りを考える上から重要です。
以上、下野敏見『南日本の民俗文化誌3 トカラ列島』より引用。