今後30年以内に70%程度の確率で発生すると予想される「南海トラフ巨大地震」。南海トラフの「トラフ」というのは、海底が溝状に細長くなっている場所のことです。水深7,000m以上のものを「海溝」と呼び、それよりも浅いものを「トラフ」と呼んでいます。このトラフ地形はプレートの沈み込みによってできたもので、地震の多発域となっています。
南海トラフは静岡県の駿河湾から御前崎沖を通って、和歌山県の潮岬沖、四国の室戸岬沖を越えて九州沖にまで達する海の溝であり、フィリピン海プレートが日本列島側のプレートの下にもぐり込むことで徐々にひずみが蓄積され、限界に達したところで元に戻ろうとして巨大地震が発生する。これが南海トラフ巨大地震の仕組みです。
さて、「南海トラフ巨大地震」イコール「南海地震」ではありません。「南海地震」は紀伊水道沖から四国南方沖を震源とする地震で、「南海トラフ巨大地震」のうちの一部です。駿河湾から遠州灘にかけて発生するのが「東海地震」、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域で発生するのが「東南海地震」。これら三つを総称している名称が「南海トラフ巨大地震」です。なぜこれが総称されているかというと、過去の地震では、この三つの地震が連動して発生しているからです。東海地震、東南海地震、南海地震の震源域で数時間から数年の間にほぼ同時期に三つの大きな地震が連動しています。
この東海、東南海、南海地震の連動は様々な史料から明らかになっていますが、その様子を物語る四国での史料を紹介します。高知県香南市香我美町の飛鳥神社にある地震津波碑です。この石碑には次のような内容が刻まれています。嘉永7(1854)年11月4日に地震があった。手結港の潮がひいて、ウナギがとれるほどだったと記され、これは南海地震ではなくて、その32時間前に発生した東海地震の地震、津波の様子になります。この時は東海に加え東南海の領域も震源域に入っていて、東海、東南海の同時発生とされています。そして碑には、翌日の11月5日に大地震があって、家も塀も崩れるなど被害の状況が刻まれています。これが南海地震(いわゆる安政南海地震)にあたります。まず11月4日に東海、東南海地震(М8.4)が起こって関東から近畿まで大きな被害が出て、その32時間後に南海地震(М8.4)がおこって西日本に大きな被害がでた時の様子を記したものといえます。これと同様の連動を示す史料は八幡浜市にも残されており、別稿で紹介する予定です。
ちなみに、昭和21(1946)年に発生した昭和南海地震での「連動」ですが、南海地震の2年前の昭和19(1944)年に東南海地震が発生しています。しかし東海地震は起こっていません。昭和の南海トラフ地震は、南海地震、東南海地震は発生しましたが、過去連動して発生していることが多い東海地震の震源域では大きな地震が起らずに空白域となっていて、プレートの沈み込みによるひずみが解消されていないとされています。このことから東海地震が発生するのではないかと1970年代以降、注目されてきたのです。
南海トラフは静岡県の駿河湾から御前崎沖を通って、和歌山県の潮岬沖、四国の室戸岬沖を越えて九州沖にまで達する海の溝であり、フィリピン海プレートが日本列島側のプレートの下にもぐり込むことで徐々にひずみが蓄積され、限界に達したところで元に戻ろうとして巨大地震が発生する。これが南海トラフ巨大地震の仕組みです。
さて、「南海トラフ巨大地震」イコール「南海地震」ではありません。「南海地震」は紀伊水道沖から四国南方沖を震源とする地震で、「南海トラフ巨大地震」のうちの一部です。駿河湾から遠州灘にかけて発生するのが「東海地震」、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域で発生するのが「東南海地震」。これら三つを総称している名称が「南海トラフ巨大地震」です。なぜこれが総称されているかというと、過去の地震では、この三つの地震が連動して発生しているからです。東海地震、東南海地震、南海地震の震源域で数時間から数年の間にほぼ同時期に三つの大きな地震が連動しています。
この東海、東南海、南海地震の連動は様々な史料から明らかになっていますが、その様子を物語る四国での史料を紹介します。高知県香南市香我美町の飛鳥神社にある地震津波碑です。この石碑には次のような内容が刻まれています。嘉永7(1854)年11月4日に地震があった。手結港の潮がひいて、ウナギがとれるほどだったと記され、これは南海地震ではなくて、その32時間前に発生した東海地震の地震、津波の様子になります。この時は東海に加え東南海の領域も震源域に入っていて、東海、東南海の同時発生とされています。そして碑には、翌日の11月5日に大地震があって、家も塀も崩れるなど被害の状況が刻まれています。これが南海地震(いわゆる安政南海地震)にあたります。まず11月4日に東海、東南海地震(М8.4)が起こって関東から近畿まで大きな被害が出て、その32時間後に南海地震(М8.4)がおこって西日本に大きな被害がでた時の様子を記したものといえます。これと同様の連動を示す史料は八幡浜市にも残されており、別稿で紹介する予定です。
ちなみに、昭和21(1946)年に発生した昭和南海地震での「連動」ですが、南海地震の2年前の昭和19(1944)年に東南海地震が発生しています。しかし東海地震は起こっていません。昭和の南海トラフ地震は、南海地震、東南海地震は発生しましたが、過去連動して発生していることが多い東海地震の震源域では大きな地震が起らずに空白域となっていて、プレートの沈み込みによるひずみが解消されていないとされています。このことから東海地震が発生するのではないかと1970年代以降、注目されてきたのです。