松山市奥道後に竜姫宮(りゅうきぐう)というお宮が祀られています。「竜のお姫様の宮」というものの、伝説上では退治された大蛇が祀られています。奥道後の湧ヶ淵には雌雄の大蛇が棲みついて住民に多くの災いをもたらしていましたが、石手寺の僧侶が石剣で雄の大蛇を退治したといいます。現在、石手寺にはその時の石剣と大蛇の頭骨が宝物館に展示されています。そして生き残った雌の大蛇は美女に化け、通行する者を淵に引きずり込むので、湯山の城主・三好氏が鉄砲で退治し、雌蛇の頭骨が現在、竜姫宮に祀られています。この付近は平成13(2001)年6月の集中豪雨で、ホテル所有の大きな建物「錦晴殿」が流されたことがありました。この川では土砂災害、水害がよく起こっています。地名として、もしくは伝説として竜(龍)とか蛇(大蛇)の名前がついたり、語られたりするところは案外多いのです。
西予市宇和町多田地区に伊延というところがあります。大安楽寺という寺院があり、その参道沿いに「蛇霊大神」を祀る蛇骨堂があります。蛇を祀るお堂で、毎年11月23日に盛大な祭りが催されています。ここには昔、大蛇の霊が出たという伝説があります。伊延を含む多田地区を開墾した宇都宮永綱が大蛇を退治することによって、そこの地域に住み続け、治めることができたという伝説です。実はこの蛇骨堂の裏側の山というのは、土砂災害警戒区域に指定されており、大雨によって急傾斜の山肌が崩れ、蛇が通っているかのように先人は見てきたのです。土砂災害を大蛇や竜(龍)のようだと昔から表現することは全国各地にあり、中部地方の「やろか水」(洪水)とか「蛇抜け」(山崩れ)、江戸時代の妖怪絵に出てくる「天狗礫」(落石)などがあります。
このような災害を怪異に見立てる事例は全国的にも見られ、土地土地の伝説の中には、先人が経験した災害の恐怖の原因を、妖怪や神々といった超自然的存在のなせる業と考え、それを地元の物語として構築し、それが後世に伝えるための災害記憶装置となっているといえるでしょう。
さて、明治32(1899)年8月28日に愛媛県内で起きた大水害では、県内全体で828名、現在の新居浜市で512名が亡くなるという大きな被害が出ました。特に旧別子の被害が大きく、この大水害によって旧別子から東平、端出場(現在のマイントピア別子のあたり)に銅山施設の中心が移っていくという一つのきっかけになりました。旧別子に向う途中に新居浜市立川(たつがわ)という地区があります。立川は「川が立つ」と書きますが、地元に行って、神社を見てみると「たつがわ」と呼ぶものの「龍河神社」と表記されています。荒れ狂う龍のように水害が起こる可能性がある地域の神社ということで、龍河と名付けられた可能性があります。そして大正元年に架けられた橋の名前も「龍川橋」となっています。現在は「立川」の字を一般的に用いられていますが「立」と「龍」が併用されているのです。
龍、蛇がつく地名、神社名などがすべて災害に結び付くものだという早急な判断は禁物ですが、水害被災地において龍、蛇の地名が残っていたり、祀られていたりする事例は多く、地域で語り継がれてきた怪異伝承の中に防災の知恵が込められていることも忘れてはいけません。
西予市宇和町多田地区に伊延というところがあります。大安楽寺という寺院があり、その参道沿いに「蛇霊大神」を祀る蛇骨堂があります。蛇を祀るお堂で、毎年11月23日に盛大な祭りが催されています。ここには昔、大蛇の霊が出たという伝説があります。伊延を含む多田地区を開墾した宇都宮永綱が大蛇を退治することによって、そこの地域に住み続け、治めることができたという伝説です。実はこの蛇骨堂の裏側の山というのは、土砂災害警戒区域に指定されており、大雨によって急傾斜の山肌が崩れ、蛇が通っているかのように先人は見てきたのです。土砂災害を大蛇や竜(龍)のようだと昔から表現することは全国各地にあり、中部地方の「やろか水」(洪水)とか「蛇抜け」(山崩れ)、江戸時代の妖怪絵に出てくる「天狗礫」(落石)などがあります。
このような災害を怪異に見立てる事例は全国的にも見られ、土地土地の伝説の中には、先人が経験した災害の恐怖の原因を、妖怪や神々といった超自然的存在のなせる業と考え、それを地元の物語として構築し、それが後世に伝えるための災害記憶装置となっているといえるでしょう。
さて、明治32(1899)年8月28日に愛媛県内で起きた大水害では、県内全体で828名、現在の新居浜市で512名が亡くなるという大きな被害が出ました。特に旧別子の被害が大きく、この大水害によって旧別子から東平、端出場(現在のマイントピア別子のあたり)に銅山施設の中心が移っていくという一つのきっかけになりました。旧別子に向う途中に新居浜市立川(たつがわ)という地区があります。立川は「川が立つ」と書きますが、地元に行って、神社を見てみると「たつがわ」と呼ぶものの「龍河神社」と表記されています。荒れ狂う龍のように水害が起こる可能性がある地域の神社ということで、龍河と名付けられた可能性があります。そして大正元年に架けられた橋の名前も「龍川橋」となっています。現在は「立川」の字を一般的に用いられていますが「立」と「龍」が併用されているのです。
龍、蛇がつく地名、神社名などがすべて災害に結び付くものだという早急な判断は禁物ですが、水害被災地において龍、蛇の地名が残っていたり、祀られていたりする事例は多く、地域で語り継がれてきた怪異伝承の中に防災の知恵が込められていることも忘れてはいけません。