愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛・災害の歴史に学ぶ4 土石流と天然ダム

2019年12月04日 | 災害の歴史・伝承
 愛媛県は土砂災害の頻発する地域といえます。県内の土砂災害危険箇所は計15,190ヶ所(平成15年3月愛媛県公表)にのぼり、47都道府県の中で14番目に多いのです(註1)。土砂災害にはおおまかに分けて、①山に堆積した土砂や石などが集中豪雨による水とともに一気に流れ出してくる「土石流」(県内5,877ヶ所)、②緩やかな斜面で地下の粘土層などが地下水などによってゆっくりと動き出す「地すべり」(506ヶ所)、③斜面に水が浸み込んで弱くなって瞬時に崩れ落ちる「がけ崩れ」(急傾斜地崩壊、8,807ヶ所)があります。その中でも土石流に関する愛媛の代表事例を紹介します。
 松山自動車道川内ICから約6キロ北東に位置する東温市松瀬川の音田という地区では、天明から寛政年間(1781~1801年)に皿ヶ森の南斜面が崩壊し、大規模な土石流が発生して音田の集落を呑みこみ、土砂が本谷川の流れをせき止め、天然ダムができたという言い伝えがあります。天然ダムは数日後に満水となり決壊しましたが、音田の約1キロ上流の五社神社付近まで水がきたものの、神社は湛水からはのがれたといいます。この地域には東西に中央構造線断層帯の川上断層が走っており、その断層の北側にあたる部分が崩落しています。
なお、愛媛県内には東予地方から伊予灘に抜ける形で中央構造線断層帯が通っていて、大地震発生の可能性が指摘されていますが、中央構造線断層帯の北側には、和泉層群と呼ばれる礫岩、砂岩、泥岩が堆積した地層があり、豪雨で崩れやすいとされています。これが四国中央市から新居浜市、西条市、東温市、松山市、砥部町、伊予市の東西に分布し、この音田の大崩壊も中央構造線断層帯とその北側の和泉層群で発生しています。地震を引き起こすだけではなく、特に北側では土砂災害が起こりやすいというのが中央構造線断層帯の恐ろしさといえます。
この音田の災害は「大崩壊(おおつえ)物語」として地元で語り継がれています(註2)。昔、音田の娘が雨滝神社に立ち寄った際に、渕に櫛を誤って落としました。ある夜、娘の家に櫛を持った青年が訪れ、毎夜、娘に会いに来る。娘は男の妖しさを感じ、男の肌を傷つけ、男は血を流しながら雨滝神社の渕に消えていきました。娘は身ごもっており、生まれた子は蛇でした。男は雨滝神社の渕の精だったのです。しかし子は皿ヶ森のふもとに葬られてしまいます。そのことを知った渕の精は龍となって七日七晩、豪雨を降らせました。そして皿ヶ森で山津波が起こり、民家が押しつぶされました。人々が龍神に祈願すると豪雨は止み、龍神の祠が建てられ、祀られたといいます。現在でも龍神の祠があり、その場所は土石流が流れ込み、天然ダムができた地点に近く、隣の桧原に天然ダムの水が流入しそうになった場所といわれています。
現在は穏やかな田園風景の広がる東温市山間部ですが、豪雨、土石流、天然ダムという過去の災害の記憶を伝説や祭祀という形で伝承してきた事例と言えます。
(註1)国土交通省ホームページ「都道府県別土砂災害危険箇所」http://www.mlit.go.jp/river/sabo/link20.htm
(註2)『川内町新誌』、『四国防災八十八話』