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保守記事.101-199 この国現状

2015-12-10 12:32:56 | 記事保守

介護疲れ心中 逮捕の三女、生活苦かひと回り痩せていた

2015年12月02日(水) 16時00分
〈週刊女性12月15日号〉
 

 埼玉県深谷市から熊谷市に流れる利根川で、高齢の夫婦が死亡しているのが見つかり、深谷市稲荷町の無職・藤田慶秀さん(74)と妻ヨキさん(81)と判明した。

 県警深谷署は23日、川岸で救助された三女の無職・波方敦子容疑者(47)を母・ヨキさんの殺害容疑と父・慶秀さんへの自殺幇助容疑で逮捕。

「母が約10年前から重い認知症で介護に疲れた。生活苦で貯金もない。年金もない。仕事を辞めた父が“死にたい”というので、車で川に突っ込んで無理心中を図った」と供述しているという。

 慶秀さんは自他ともに認める愛妻家で、ヨキさんが認知症を患っても変わらず、「オレはかあちゃんを愛しているんだ」と堂々と公言していたそうだ。
 しかし、ノロケてみせる笑顔の裏で、介護生活は日を追うごとに厳しくなっていた。

 おしゃべりでふくよかだったヨキさんは少しやせて、髪の毛が真っ白になった。慶秀さんと波方容疑者はヨキさんの両脇を抱えるようにして近所をよく散歩した。

 顔見知りの女性が「こんにちは。私、誰だかわかる?」と声をかけてくれても、ヨキさんは「わからない」。目を離した隙に家を飛び出したこともある。父娘は顔面蒼白で探し回り、近所に頭を下げた。

 深夜出勤の慶秀さんはしばしばヨキさんに起こされた。

「夜、奥さんの大きな叫び声が聞こえてくる。娘さんは、“ご迷惑じゃないでしょうか”と近所に気を遣っていらっしゃいました」(近所の主婦)

 波方容疑者は独身。近隣住民らの話によると、両親と姓が異なるのはヨキさんの旧姓を名乗っているから。慶秀さんが借金取りに追われていたころ名字を変えたようだ。介護に専念するため6~7年前に仕事を辞め、結婚は半ば諦めているようだったという。

「今年の夏に娘さんはひと回りやせ、“ダイエットしたのよ”と笑っていました。今にして思えば無理をしていたのかもしれない」(近所の女性)

 家計が苦しかったのは間違いない。慶秀さんの収入だけが頼りだった。

「娘のおかげで本当に助かっているんだよ」

 職場でしみじみとそう話したという慶秀さん。

 前出の新聞販売店店主が、「ダメだよ。早く結婚させてあげなきゃ」と言うと、「そうなんだけどねぇ……」と口ごもることがあった。

 痛風と腰痛の持病を抱える慶秀さんを首痛が襲った。手術を受けるため仕事を辞めた。事件の10日ほど前のことだ。

「“あと5年は働きたいから、よろしく頼むね”と言っていたんですが、辞める直前は歩行するのも困難な様子で、仲間の助けを借りて仕事をこなしてい ました。もし、お金の問題だったら、長年勤めた職場を頼ってくれたらよかったのに。仕事を辞めたことで心が折れてしまったのかもしれない」(販売店店主)

 一家が引っ越してくる前に結婚した長女は熊谷市内に住んでいる。次女は幼いころ、母方の実家である新潟の親戚筋に養子にもらわれている。

 波方容疑者は深谷市役所を訪ね、介護サービスと生活保護の申請手続きをとった。急場はしのげるはずだった。

 しかし、一家は11月21日夜から22日未明にかけて3人で軽自動車に乗り込み利根川に向かった。三女が運転 する車は河川敷で加速し川に突っ込むと浅瀬で進まなくなった。三女は運転席から降りた。慶秀さんとヨキさんと川の深いほうに歩いた。水は3人の身体を切り 裂くように冷たく、やがて親子の姿は川の中へ消えた。

 ヨキさんの遺体を収容していた警察官が、すぐそばの崖下のくぼみで座り込む波方容疑者を発見した。意識は朦朧としていたが、呼びかけると返事があった。低体温症で命に別状はなかった。

〈フリーライター山嵜信明と週刊女性取材班〉

 

深谷・介護疲れ心中 逮捕された三女「生活苦で貯金もない」

2015年12月02日(水) 11時00分
〈週刊女性12月15日号〉
 

 埼玉県北部で11月22日午前、110番通報が相次いだ。

「死体のようなものが川に浮かんでいる」

「車が流されている」

 同県深谷市から熊谷市に流れる利根川で、高齢の夫婦が死亡しているのが見つかった。

「娘さんは認知症のお母さんのことを“死ぬまで面倒みなくちゃね”と言っていました。明るくて優しい人でね」(近所の主婦)

 声を震わせながら、こう続けた。

「それが最近では“お父さんも介護しなくちゃいけないことになるかも”って。でも、お母さんの介護サービスを申請したばかりだったし、お父さんは1週間後に首の手術をする予定だったのに、なぜ、それを待たずに一家心中なんて考えてしまったのか……」(前出の主婦)

 深谷市稲荷町の無職・藤田慶秀さん(74)と妻ヨキさん(81)と判明した。県警深谷署は23日、川岸で救助された三女の無職・波方敦子容疑者(47)を母・ヨキさんの殺害容疑と父・慶秀さんへの自殺幇助容疑で逮捕した。

「母が約10年前から重い認知症で介護に疲れた。生活苦で貯金もない。年金もない。仕事を辞めた父が“死にたい”というので、車で川に突っ込んで無理心中を図った」

 などと供述しているという。

 一家は3人暮らし。築約40年の平屋建て賃貸住宅は6畳2間と4畳半、台所の3K約40平方メートルで家賃は月3000円と破格。約34年住んでいる。入居時はヨキさんと波方容疑者の母娘ふたりだった。

「最初はお父さんがいなくて三女が中学生のころにお母さんが契約に来ました。家賃滞納は1回もありません。入居して数年後、お父さんが一緒に住むようになったんです」(大家)

 慶秀さんは若いころから新聞配達で生計を立ててきた。つい最近まで深谷市近郊の新聞販売店で約30年間働いていた。朝刊配達のアルバイトで給与は月約18万~19万円だった。店主は言う。

「昔気質で責任感が強いタイプ。深夜2時から始まる仕事ですが、1日も休んだことはない。一家を背負う大黒柱との思いが強かったようです。うちに来 る前、稼ぎを競艇につぎ込んで借金し、奥さんと子どもを残して家を出て、何年も音信不通にした時期があったようです。“家に戻ったら、女房がやさしく迎え 入れてくれた。本当に苦労をかけた”と言っていました」

 慶秀さんは人が変わったように家族のために働いた。自他ともに認める愛妻家だった。それはヨキさんが認知症を患っても変わらなかった。

「奥さんが認知症になられてからも“オレはかあちゃんを愛しているんだ”と恥ずかしがるふうもなく、堂々と公言していました」(同店主)

〈フリーライター山嵜信明と週刊女性取材班〉


保守記事.101-198 この国現状

2015-12-10 12:31:53 | 記事保守

和歌山長女殺害事件「精神障害と闘う家族の苦しみ知って」

2015年12月08日(火) 05時00分
〈週刊女性12月22日号〉
 

 村井健男さん(81)は今年2月14日、和歌山市内の自宅で精神障害のあった長女(41)を殺害し、7月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた。

「殺人者の私ですが、恥を忍んで出てきました」

 演壇で村井さんはそう切り出した。家族は約20年、長女の暴力を受けてきた。高校卒業後、職を転々とするうちに引きこもり、家族に暴力をふるい始めた。

 近年は病床の妻(75)に暴力をふるうことが続き、「自分が死んだら妻はどうなるのか」と思い悩んだ末の犯行だった。

 和歌山地裁は「入院や投薬での改善も望めず、殺害を回避する行為は期待できなかった」と情状判決。法廷で号泣する村井さんに裁判員らも目を赤くした。

 精神障害と闘う本人と家族の苦しみを知ってほしい……。11月28日、同市内で開かれた講演会『求め続けた希望の光』で苦悩を打ち明けた。

「長女はおっとりした性格でしたが周囲にはなまけ者と映ったようです。小学3年生の時、給食を食べるのが遅くパンを残したことでいじめられました。“担任の女の先生からパンを口に押し込まれた”と言うんです。長女は後年、“それが自分の転機になった”と言っていました」

 ふたりの兄と年の離れた3人きょうだいの末っ子。村井さんが40歳のときに生まれた待望の女の子だ。小・中学といじめられた長女は、高校卒業後、就職して6社を渡り歩いた。何をするにもスピードが遅く、自分から辞めたり、会社に辞めさせられたり。

「20歳のころから家に引きこもり、気に入らんことがあると窓ガラスを割ったり、私や妻を蹴るようになりました。習っていたころに買ってあげたグラ ンドピアノも壊してしまいました。隣の家や道路に食器やケチャップを投げつけました。妻が病床に伏してからは、長女に言われるまま食べ物を買ってきました が、気に入らないと暴れます。私は真夜中でも肉や魚を探しに出かけました」

 常に暴力的だったわけではない。ただ、落ち着いているときと、暴れ始めたときのギャップは激しかった。警察に助けを求めると、「事件にならないと動けない」と突き放された。

 保健所の職員は、まともに応対する娘と接して「大丈夫ですよ」と帰っていった。病院を頼ると「本人を連れて来てください」と言われた。村井さんは、
「娘本人が病院に行ってくれるなら苦労はしません」と振り返る。

 2001年、長女は隣家にハサミや包丁を投げつけた。警察が長女を保護し、病院の精神科で診察を受けさせた。自己中心的で暴言や暴力行為など他罰的症状を伴う「強迫性神経症」と診断された。

<取材・文/ジャーナリスト・粟野仁雄>

 

精神障害の長女を殺害した父親に長男「よく我慢してきた」

2015年12月08日(火) 11時00分
〈週刊女性12月22日号〉
 

 今年2月14日、和歌山市内の自宅で精神障害のあった長女(41)を殺害し、7月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた村井健男さん(81)。

 長女は20歳ころから引きこもるようになり、家庭内暴力を繰り返すように。そして2001年、長女は自己中心的で暴言や暴力行為など他罰的症状を伴う「強迫性神経症」と診断された。

 入院させられた娘は日記に《生きていることがつらい。誰も私の心をわかってくれない。弱い所をみせられるのは家族だけです》と書いた。

 退院後はまた暴れだし、入退院を繰り返した。明確に精神病とされないケースがいちばん難しい。長女は自分の「異常性」を認識しており、病気を治そうと専門書を何冊も買い込んでいたという。

「暴力から逃れるため車で寝泊まりしました。ワンルームの部屋を借りて妻を避難させたこともあります。長女は車に飛び込もうとしたり、部屋で首つり自殺を図りました。娘の首に巻きついていたベルトを必死にはずしました」

 家じゅうの壁は穴だらけ。長女は「暴力が悪いのはわかっている。朝、目が覚めるのが怖い」と言った。

 暴力はさらにエスカレートした。包丁の先を丸くし、危ないものは隠した。間質性肺炎を患う妻は怖がって布団から出られなくなった。長女にひとり暮らしをさせてもアパートを壊して帰ってくる。村井さんは「ついに終着が来ました」と、ひと息おいた。

「その夜、長女は“早く新しい部屋を借りろ!”と布団にくるまる妻を激しく叩きました。私は、妻のこたつの修繕のために買った電気コードで後ろから首を絞めました」

 心の中で「ごめん」と叫んだ。小柄な長女の背中が丸くなり動きが止まる。妻が息子に連絡し、重体で病院に運ばれた長女は翌日、死亡した。

「駆けつけた長男は最初“世間に顔向けできない”となじりましたが、すぐ“親父、よく我慢してきたな”と言い、みんな泣きました。拘置所で同房だった男に“殺人は許せん”と言われてつらかった」

 長女は優しい子だった。

「音楽が好きで私の耳にイヤホンを差し“いっぺん聴いてみて。きれいな曲やろ”とリチャード・クレーマン(クレイダーマン)のピアノ曲を聴かせてくれました」

 石油会社を定年まで勤め上げた村井さんに弁当を作ってくれた。「お父ちゃん、肩たたいてやろうか」といたわってくれることもあった。淡々と話す村井さんが嗚咽したのは次の言葉を発した時だ。

「娘は妻に似て、色白のきれいな肌でした。事件直前、“お母ちゃんからもらった肌を大事にせんとあかん”と娘のほおを撫でました。その感触は今も残っています」

 落ち着いていた娘が豹変し、事件に至ったのは、その数時間後だった。

「検察官は妻に“いちばん苦しんでいたのは娘さん自身じゃないですか”と言った。やれることはやったと思っていましたが、足りなかったと感じまし た。天国で娘が“お父ちゃん、私、生きたかった”と言っているんです。いちばん苦しんでいたのは自分やない。殺してしまった娘やった。何が足りなかったの か」

 村井さんは、こう話した。

「残された人生を同じような悩みを持つ家族のために捧げたい」

<取材・文/ジャーナリスト・粟野仁雄>