劇団 希望舞台 釈迦内柩唄(しゃかないひつぎうた)
作 水上 勉
演出 高田 進
花は死んだものの顔だでや…
全国を回る劇団が身延町に入る時、なぜかあたしを訪ねてきて下さる。
身延町で「元気な人間」という数名の中にエントリーされるらしい。
昨年末、これまた元気なマダムとの出会いでした。
1,000回公演をめざしていらっしゃる。
「はい、観にいきます!」
「そうじゃなくて、実行委員になって・・・。」
ちょっと待った!
どんなに素晴らしい内容でも、お客さまにお金をいただく公演、観てないものを勧めるのは、、、いかがなものかと・・・。
一回目の会合はお寺さんの境内で、錚々たるメンバーの顔ぶれにもかかわらず、場を凍らせました(--;)
身延公演までに他での公演はない。
こんなスタートでしたが、マダムの熱心さたるや・・・。
結局、リンの体調の崩れと時期を同じくしてしまったため、会合にも出られず、ほとんど陰での応援になってしまった。
申し訳ない気持ちいっぱいに一升瓶を持ってホールに行った。
途中から、涙もとまらなくなり・・・
終わった時には、ぜひ多くの人に観ていただけるように次の公演につながる応援をしようと思った。
釈迦内は秋田県の花岡鉱山近くの地名。
その地で親の代から死体焼き場の家業を引き継ぐことになったふじ子の物語。
その仕事ゆえに忌み嫌われ、蔑まれる家族の絆と愛情、わけへだてない、人間に対するやさしさが秋田言葉で描かれている。(パンフより)
とある火葬場には「特」と「並」の焼竈がる。
死んだ人を焼く竈に差別があったり、金額により読経や戒名が違う慣習に僧侶たちも黙然とつとめる様など、滑稽にも思える表現でズバリ示すあたり、ニヤリッとする。
この会場には身延山の僧侶や身延山大学の学生など、、多数来場している。
だって実行委員には学長もいるのだからね。
・・・ねらったか!?
やってくれる!!
お父は死体を焼いた灰を畑にまき、コスモスを育てた。
花の顔はみな違い人の顔のよう。。
「特」で焼かれようと「並」で焼かれようとみな同じ土にかえり花を咲かす。
作者水上 勉を意識して読んだ記憶はない。
戯曲の世界のなるほどを、至る所に感じた。
中国人強制就労の花巻鉱山に触れる重要な場面がある。
人間が狂っていた時代を再確認。
先日の三池と重なり、リアルで「人間」が腹立たしかった。
差別こそ不正義。
戦争だ。
見事な人間賛歌だと涙を止めるのに時間がかかった。
初夏には増穂町でも公演があるので近くなったらお知らせします。
ぜひ、出会って下さい。
連日たくさんのアーティストに出会い、衝撃が走る。
あたしの中で整理し消化する時間が必要。
2008年冬、苦しいと思っていたことは感謝の気持ちが上回り春にむかっている。
旅がしたいと思う。