僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

高校総体

2009-05-08 23:44:47 | Weblog
明日、明後日と卓球の高校総体地区大会が開催されます。夜、埼玉にいる娘から「父さんもコーチ頑張って!」と応援メールが届いたのです。
少しジーンときましたが、それ以上に娘の心配りがありがたかったのです。
一人暮らしをし大学に弁当を持っていき、11日からはアルバイトに勤しむそうです。
「誰の言葉よりも勇気付けられた。お前と二人三脚で頑張ってきた日々が思い起こされたよ。ありがとう

美味しんぼ  トンカツ慕情

2009-05-08 23:15:45 | Weblog
「食べ物相談室」という新しい企画を山岡と栗田で受け持つことになりました。そして富井副部長から最初の相談事の投書を受け取ります。差出人の名前は里井という男で、三十年前にアメリカへ渡り、今では全米で150の支店を持つ社長でした。昔、日本で食べたトンカツの味が忘れられない、昨年日本へ帰ってきたときにトンカツを食べたのだがその味は思った通りの美味しい物ではありませんでした。昔のような美味しいトンカツはないのか、それとも自分は過去の記憶を美化しているのだろうか、というのが里井の相談内容でした。
里井のトンカツの記憶は三十年前に遡ります。給金を貰った直後に街で暴漢に襲われ、そのとき中橋という男に助けらました。給料を奪われ無一文になった里井を中橋は自分の営むトンカツ屋「トンカツ大王」へ連れて行きトンカツを御馳走してくれたのでした。

三十年経った今、昔のようなトンカツも食べたいが、もっと切実に願うのは中橋夫妻と会うこと、手を尽くして夫妻の行方を探してみたのだが見つからない、と里井は言います。山岡は社会部の川杉に頼み、里井と中橋の事を記事にしてもらいます。するとすぐに中橋夫妻の居所が解ったのです。夫妻は千葉の老人ホームにいました。一週間後、山岡は中橋夫妻を迎えに行き、あるトンカツ屋で里井と落ち合います。この場所で中橋に昔のようなトンカツを作って貰えないか、と里井は頼みました。黒豚とそのラードを使って中橋は里井の記憶通りのトンカツを作りました。「腕は落ちてないだろ」と笑う中橋。それじゃ、この店だいじょうぶだね、と里井が言います。何のことやら解らない、という顔をする中橋に、この店の看板を見なかったんですか、と里井が聞きます。外に出た中橋は看板が「トンカツ大王」となっていることに気づきます。里井は中橋にこの店をプレゼントしたのでした。

人情味あふれる素敵な作品です。里井にトンカツをご馳走した中橋さんのご主人はこういいます。
「人間そんなにえらくなるこたあねえ、ちょうどいいってものがあらあ。トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが人間えら過ぎもしない、貧乏すぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。」

知音(ちいん)

2009-05-08 22:27:51 | Weblog
「知音」とは親しい友人のことです。
昔中国に伯牙という琴の名人と、その友人の鍾子期がいました。伯牙はしばしばこの友人に琴をひいて聞かせましたが、名人が心のうちに高い山を浮かべ、雄々しい美しさを琴の音に託して表現すると、鍾子期はたちまちそれを察して、「ああ、すばらしい。鋭くそびえ立つ大山のようだ」と叫びます。
伯牙が大河の流れを琴に託して表現すれば、
「まるで黄河と揚子江の水のようだ」と言います。琴をひく者と聞く者との心がピタリと合っていました。
このことから「自分の心を本当に知ってくれる友人」という意味になりました。
鍾子期が死んだとき、伯牙は琴をこわして糸を切り、一生琴をひかなかったと言います。

哲学者 ディオゲネス

2009-05-08 03:51:29 | Weblog
哲学者 ディオゲネスは変人でした。
ネズミを見てハッとしたというのです。寝床を求めず、暗闇も恐れず、美味しいものを欲しがらないネズミに感服し、自分も粗末な服を着て、食料を入れた袋を持って乞食のように暮らし始めました。
その後なんと彼は大きな樽の中で生活をはじめるのです。それ以来「樽のディオゲネス」と呼ばれるようになるのです。

アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたときディオゲネスはなかなか挨拶に来ませんでした。しからばと自分の足でディオゲネスの所に向かいました。ディオゲネスは体育館の隅でのんびり日向ぼっこをしていました。恐るべきマイペースさ。
大勢の共をつれて、ディオゲネスの前に現れたアレクサンドロス大王。さっそく挨拶をしてこう聞きました。
「何でも望みのものを申してみよ」
大王の権力を誇示したかったのでしょう。しかしディオゲネスはこう言い放ちました。
「あなたが陰になるので私に日の当たるようによけてください」
邪魔だからどいてください・・・時の大王にそういったのです。
帰り道、大王は「私がもしアレクサンドロス大王でなかったら、ディオゲネスになりたい」
と言っていたそうです。