「幸福」とは自分でつかむべき個人的な問題でしょうか。否、しあわせ(幸福)とは、共有されるべきものなのです。先人たちも語っています。
自分の利益だけ求めるものは、幸福ではありえない。みずからのために生きんと欲するならば、他人のために生きよ。(セネカ)
まことの善人、友愛的存在の世界に住み、その各員の幸福を自分の幸福とするものだ。(ショーペンハウエル)
幸福は、分かち合うようにつくられているようだ。(ラシーヌ)
幸福は発見するものだし、客観的に見る眼があって可能になるのです。自己中心の眼は不平ばかりを見出すのです。これこそが不幸の正体なのです。
だから愛の世界、慈悲の世界に生き、自他の差別、対立を超えた、自他一如の境地に立って生きようではありませんか。
自分の利益だけ求めるものは、幸福ではありえない。みずからのために生きんと欲するならば、他人のために生きよ。(セネカ)
まことの善人、友愛的存在の世界に住み、その各員の幸福を自分の幸福とするものだ。(ショーペンハウエル)
幸福は、分かち合うようにつくられているようだ。(ラシーヌ)
幸福は発見するものだし、客観的に見る眼があって可能になるのです。自己中心の眼は不平ばかりを見出すのです。これこそが不幸の正体なのです。
だから愛の世界、慈悲の世界に生き、自他の差別、対立を超えた、自他一如の境地に立って生きようではありませんか。