北の富士氏、稀勢は悔い残る引退「思い切って休場して徹底的にけがを治せばよかった」/初場所
結果は12場所という短命横綱。
しかし記憶に残る横綱でした。
当初激励を受けたと聞いたとき
「今場所こそがんばれ」という
労いと思っていました。
実際は引退勧告の手前。
活躍しなければ引退を考慮すべし。
という意味だったとは。
場所前の稽古で貴景勝関に
ほぼ全勝と聞き、復活かと思いきや
初日から3連敗。
栃煌山関との一番を終えた時
その横顔からは引退を考えていたように思えました。
欲をいえば全敗でもいいから初場所だけでも
15日間出場し、やりきった姿を見せてから
去ってほしかったです。
残念ではあるけれど感動をありがとうございました。
「痛みに耐えてよくがんばった」
当時の首相にそう言わしめた
貴乃花関の二の舞のような展開。
今にして思えば完治してから土俵に立てば
結果が変わっていたかもしれない。
詮無きこととはいえそう思わずには
いられません。