最近ハマッてしまった言葉に、「きょどる」というのがある。つくづく日本語ってすごいなぁと思うのは、この音から、如何にも「挙動不審気味な動きをしてしまった」という事が表現されてしまうからだ。
特に若い人たちの間では、敢えてこのような表現の仕方で、”センス"を磨いているのか、この手の新語が多く使われている。言葉はその時代時代に応じて生まれ廃れしてゆくものだから、一方的に顔をしかめるモノではないと思っている。とくに、この「きょどる」というのはホント、言葉の意味と持つ臨場感、テンポの良さが巧く合さっていて、気に入っている。どこかで使えんだろうかと思う。
この辺りの言葉がどんどん過剰になってゆくと、もはや日本語なのかどうかさえも怪しくなってくる。”ハングる”ってIT業界に居る人なら、”ハングアップ”のという意味である”中止”が転じてパソコンが”固まる”状態を言うのだが、何の気なしに使っているこの言葉も、韓国語や韓国のスターを追いかけてる人のことや動作を”ハングる”という場合もあるらしいからややこしい。韓国語がハングル語なので韓国語を勉強するのも”ハングる”という事もあるらしいのである。
これはいったい何語なんだろう?
少しまえなら、「私(わたし)的には」とか「○○子的には」などと言う言葉使いもあった。 これもなんか分かったような分からないような。でも雰囲気や言いたいことは伝わるからすごい。
いまちょうど大きな手術を終えたソフトバンクホークスの王監督も、40代で現役だったときに、「サダハル」という言葉が流行った。王監督の名前である貞治が、そのまま動詞になって、「サダハる」となり、高い年齢にも関わらず現役を続けて結果を残すこと、という意味で使われたときがあった。
いまなら、「まだまだ才能やチャンスもあるはずなのに、さっと見切りをつけて、新しい分野に挑戦する」というのは、「ヒデる」とでも「ナカタる」とでも言うのだろうか?
「法的には問題ないからといって、いまの座を退かない」というのは、「フクイる」というのはどうだろう?
このように、いろんな言葉遊びが楽しめるのだが、でもその背景には、きちんと教育された背景があるからこそだと思える。
”きょどる”なんて言うのもその代表例で、”挙動不審”ということばを知っていないとそもそも成り立たないし、テンポや語呂もいいから、言語センスがないとやっぱり生まれ無かったように思う。
もっと面白い言葉があれば、コメントで寄せてもらえれば楽しいかも。
特に若い人たちの間では、敢えてこのような表現の仕方で、”センス"を磨いているのか、この手の新語が多く使われている。言葉はその時代時代に応じて生まれ廃れしてゆくものだから、一方的に顔をしかめるモノではないと思っている。とくに、この「きょどる」というのはホント、言葉の意味と持つ臨場感、テンポの良さが巧く合さっていて、気に入っている。どこかで使えんだろうかと思う。
この辺りの言葉がどんどん過剰になってゆくと、もはや日本語なのかどうかさえも怪しくなってくる。”ハングる”ってIT業界に居る人なら、”ハングアップ”のという意味である”中止”が転じてパソコンが”固まる”状態を言うのだが、何の気なしに使っているこの言葉も、韓国語や韓国のスターを追いかけてる人のことや動作を”ハングる”という場合もあるらしいからややこしい。韓国語がハングル語なので韓国語を勉強するのも”ハングる”という事もあるらしいのである。
これはいったい何語なんだろう?
少しまえなら、「私(わたし)的には」とか「○○子的には」などと言う言葉使いもあった。 これもなんか分かったような分からないような。でも雰囲気や言いたいことは伝わるからすごい。
いまちょうど大きな手術を終えたソフトバンクホークスの王監督も、40代で現役だったときに、「サダハル」という言葉が流行った。王監督の名前である貞治が、そのまま動詞になって、「サダハる」となり、高い年齢にも関わらず現役を続けて結果を残すこと、という意味で使われたときがあった。
いまなら、「まだまだ才能やチャンスもあるはずなのに、さっと見切りをつけて、新しい分野に挑戦する」というのは、「ヒデる」とでも「ナカタる」とでも言うのだろうか?
「法的には問題ないからといって、いまの座を退かない」というのは、「フクイる」というのはどうだろう?
このように、いろんな言葉遊びが楽しめるのだが、でもその背景には、きちんと教育された背景があるからこそだと思える。
”きょどる”なんて言うのもその代表例で、”挙動不審”ということばを知っていないとそもそも成り立たないし、テンポや語呂もいいから、言語センスがないとやっぱり生まれ無かったように思う。
もっと面白い言葉があれば、コメントで寄せてもらえれば楽しいかも。