ある家族の再出発/2
誰か僕を止めて
◇育児抱え込み暴走
「誰かが止めてくれるんじゃないかと思ってました」。修平(37)は、連れ子の真司(当時4歳)を虐待していた5年半前をこう振り返る。27歳の時、妻美幸(30)に出会い、3カ月後、駆け落ち同然で中部地方の都市に引っ越した。美幸は人とのコミュニケーションが苦手で、「似た者同士」と思った。
修平にはプレッシャーがあった。「真司は施設で育ったから、早く家庭生活に慣れさせてあげないと」。だが1歳年下の慶子(8)が次々と言葉を覚えて成長するのに、真司とは一向に意思疎通できない。さらに美幸は次女彩子(7)の育児だけにかかりきりだった。
どれだけたたけば自分の言うことを聞いてくれるのか。最初は尻だったが、次第に目に付きやすい顔などをたたくようになった。「真司のあざを見た周囲の人が美幸に何か働きかけてほしい」。そんな屈折した気持ちもあったという。虐待はエスカレートした。「たたく手も痛いから痛み分け」と罪悪感をごまかした。
一家のことを気に掛ける人がいなかったわけではない。
修平の母清江(66)。結婚に反対だったが「認めてあげたい」と事件の3カ月前、結婚指輪を持って初めて自宅を訪問した。「おばあちゃん」と駆け寄る子供たちの笑顔がうれしい半面、美幸があまり家事をせず、家財道具もそろっていないのが気になった。修平は「大丈夫」と繰り返したが、心配で週1度、段ボール箱に生活用品を詰め、宅配便で送った。
「左ほおに直径5センチの青あざがある」。兄妹3人が通っていた保育所は事件の3週間ほど前、虐待に気付き児童相談所に通告した。児相は職員が面接や家庭訪問を行い、事件直前にも訪れた。しかし深刻さに気付かず一時保護までは検討しなかった。
美幸は虐待を止めなかった。かつて別の交際男性から暴力を受けていたことを逮捕後に知った修平は「恐怖で止められなかったのかも」と気付いた。
「ばあちゃんが代わりになりたい」。事件の数時間後、病院に駆け付けた清江は、集中治療室で真司を見つめ続けた。
数日後、清江は児相職員と話し、初めて美幸の知的障害に気付いた。そして思った。「とにかく母子を引き取らなければ」
【反橋希美、平野光芳】
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■ことば
◇一時保護
虐待が重度で緊急性が高いと判断すると、児童相談所は子供を親から引き離し施設内で生活させることができる。今回の事件は適用が検討されなかった。
事件後の検証で地元の行政機関は「家族の再統合(連れ子の引き取り)を支援する継続指導を行っていなかった」「保育所の危機感を十分に受け止めることができなかった」と総括している。
毎日新聞 2011年1月31日 大阪朝刊
ある家族の再出発/3
「甘えてもいいよ」
◇長女の危機察し
「これはただごとではない」。西日本の母子生活支援施設の園長、すずえ(53)は驚いた。虐待死事件から20日ほどたった05年6月、美幸(30)と2人の娘は施設の応接室にいた。義母清江(66)が地元の福祉事務所に掛け合い、入所面接を受けていた。
美幸は次女彩子(7)をぎゅっと抱きしめ、長女慶子(8)には目もくれない。当時3歳になりたての慶子は凍りついたような表情で、1時間以上もじっと座っていた。すずえは、美幸を見て、1人だけに愛情を注ぐ傾向を見抜いた。
慶子の素直な感情表現を取り戻すことが、大きな目標になった。美幸を頭ごなしに注意しても改善は望めない。まず「甘えてもいい大人がいることを慶子に知ってもらおう」と姉妹を施設内の保育室で預かることにした。
「甘えっ子」の彩子に対し、慶子は欲しいおもちゃがあっても妹や友達に譲り、涙をこらえる。保育士は「欲しいものは欲しいと言ってええよ」と諭した。迎えに来た美幸には「慶ちゃんが年下の友達をあやしてくれましたよ」などと成長の様子を伝えた。
職員も何かにつけ「慶ちゃんも一緒にやろうな」と母子に寄り添った。当初、美幸は階段で3階の居室に上がる時、彩子は抱っこするが、慶子には触れなかった。そんな時、職員の容子(38)は「まだ小さいから危ないよ」と美幸に声を掛け、慶子の手をつないで一緒に上った。
中度の知的障害がある美幸に、どう生活力を付けさせるかも大きな課題だった。
「おはよう、よく眠れた?」。容子はことあるごとに部屋を訪れた。美幸は簡単な調理や洗濯、部屋の整頓などはこなせたが、読み書きと金銭管理が苦手だった。容子らは家計のやりくりを一覧表にした。「食費は多めで1人1日1000円、7日分で2万1000円やね」。1週間分の生活費を目の前で封筒に仕分け、手渡した。
入所から約1年後、すずえは「仕事に就くにも、自分の能力を知っておくことが大事」と説明し、美幸に福祉サービスが受けられる療育手帳の取得を勧めた。美幸は地域の福祉作業所に通い出した。
ある日、すずえは自転車の前後に姉妹を乗せた美幸の姿を見かけた。以前は彩子だけを前に乗せ、慶子はトコトコ後から付いて歩いていた。しかも楽しそうに3人でおしゃべりしている。「お母さん、育ってきてるなあ」。すずえは手応えを感じ始めていた。
=つづく【反橋希美、平野光芳】
毎日新聞 2011年2月1日 大阪朝刊
ある家族の再出発/4
SOS、自力で
◇子の成長、悲劇防ぐ
05年5月に虐待死事件を起こした修平(37)の母清江(66)は、よく気がつく、世話好きの性格だ。幼い頃から修平を「男の子でもアイロンをあてたハンカチを持ちなさい」などとしつけてきた。おとなしく、成績優秀だった修平は、高校生の頃からそんな母を重荷に感じ、次第に疎遠になった。
事件直後は修平と美幸(30)が「離婚した方がいいのでは」と葛藤した。だが「おばあちゃん」となつく慶子(8)と彩子(7)に接するうち「息子に2人の孫を『返したい』。その日まで、しっかり育てなあかん」と思うようになった。
母子生活支援施設から母娘3人を自宅に招き、月に数回泊まらせた。時々「子供が家事手伝わへん」と訴える美幸の前で、清江は「慶ちゃん洗濯物渡して。次は彩ちゃんね」と姉妹に手取り足取り教えた。動物園や水族館、初詣にも連れて行き、刑務所の修平に写真を送った。
懸命な清江を美幸は信頼するようになった。
「これから寝ます」。美幸が送ってくる何気ないメールを、清江もうれしく感じた。
服役中の修平は、再び家族で暮らすことを目標にしていた。当初は「娘たちと離れて住んだ方が娘のため」と考えた。だが次第に「もし娘たちが将来、父親の罪で苦しんだら、受け止められるのは自分しかいない」と思った。刑務所から慶子と彩子に手紙を送り続けた。09年1月に出所。実家に住み、資格を取って昨年2月から介護施設で働き始めた。
美幸は娘を連れて刑務所に度々面会に訪れた。
「自分も早く施設を出て一緒に生活したい」。
修平の出所後は、園長のすずえ(53)に慣れない手紙を書いた。
その頃には職員の容子(38)らの支援で1カ月分の生活費を1人でやりくりできるようになっていた。
すずえは簡単に同居を認めるつもりはなかった。子供の命が奪われた家庭だ。悲劇を繰り返さないために「姉妹が困った時に自力で施設に来たり、SOSを出せるようになってほしい」と考えた。
施設の学童保育室では「私の権利」という標語を掲げている。「自分の体と気持ちを大切にする権利、ほかの人から大切にされる権利……」。子供への指導でも重視している。過去に親から暴力を受けた児童が自分で学校に助けを求めたケースもあった。すずえら職員は、退所を急ぐ美幸を「生活が落ち着いてからやで」となだめ、慶子と彩子の成長に期待していた。
=つづく【反橋希美、平野光芳】
毎日新聞 2011年2月2日 大阪朝刊
ある家族の再出発/5止
姉妹に誓う父
◇兄の死いつか説明を
「大丈夫、大丈夫やで」。
昨年12月24日、母子生活支援施設の学童保育室であったクリスマス会。ハンドベルを披露した彩子(7)は緊張する友達を励ましていた。慶子(8)は片隅で「明日、引っ越すねん」と女性指導員と抱き合った。修平(37)が服役を終えた09年に慶子が、翌年に彩子が小学校に入学。学童保育で姉妹はみるみる成長した。
慶子は「いい子過ぎる」と心配される子だった。友達のけんかを仲裁し、持ち物も嫌な顔をせず貸す。しかし時々、秘めた思いをこぼした。昨年3月には「彩子が学童に入ってくるの嫌や」。居場所を奪われると思っているようだった。母親への不満も口にした。
指導員は「親子関係を修復するより、助けを求められる存在であろう」と考えた。「甘えてええよ」「わがまま言いや」と伝え続けた。抱っこやおんぶをあまりせがまなかった慶子が、徐々に指導員に抱きつくようになった。彩子は学童保育室で友達ができ、母美幸(30)から少しずつ自立してきた。
一家の再出発には喜びと不安が交錯する。
修平の母清江(66)は事件後、息子の罪に苦悩し、何度も人知れず涙を流した。しかし新居で「やっと4人で暮らせる」と笑う姉妹を見て胸が熱くなった。
学童指導員の裕司(39)は「もう少し施設にいてほしい」が本音だ。「慶子の優しさや素直さが、自然なのか無理しているのか見極めたい。だが、引き留めるのは難しいとも思う」
退所後、美幸が施設に家計簿の付け方を聞きに顔を出した。園長のすずえ(53)は「施設が『助けてもらえる場所』と認識されている」と少しホッとした。今後も職員が家庭訪問したり、小学校と連絡を取りながら見守るつもりだ。
修平は今月から、児童相談所が開く男親向け虐待防止プログラムに参加する。姉妹に兄真司(当時4歳)の死をきちんと説明する日がいつか来る。多くの支援に感謝しながら「まず自分に何が足りないのか、考えたい」と思っている。
引っ越しから3週間ほどたった夕方、記者は新居を訪ねた。
彩子は玄関で「新しい学校めっちゃ楽しいねん!」と跳びはねた。
慶子は台所に立ち「これ洗っていい?」と自分から夕食の準備を手伝う。
こたつで笑い声が響いていた。台所の片隅に菊が飾られていた。引っ越しの時に見かけた真司の写真が家族を見つめていた。
<人物はすべて仮名としています>=おわり
【反橋希美、平野光芳】
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■ことば
◇虐待防止プログラム
子どもを虐待した親が子どもとの生活を再開するためには、子どもとの接し方を学び、見直す必要があることから、各地の児童相談所は子どもの保護だけでなく、親向けの教室も開いている。親同士が体験を語り合ったり、児相スタッフから接し方の指導を受けるなどのプログラムが設けられている。
毎日新聞 2011年2月3日 大阪朝刊
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