(障害と不登校についてのメモ)
学年やクラスが代わり、それまで楽しく学校に通っていた障害のある子が、学校に行きたがらないとき、「やっぱり、普通学級は無理があったのだ」とか、「学年があがり、そろそろ限界なのだ」といった「解釈」がよく聞かれます。
「言葉もしゃべれず、自分が勉強できないことも分からないくらい重度の子ならまだしも、やればできる軽度の障害の子の場合、自分が周囲よりできないことが分かるから、自信をなくしてしまうのだ」という差別的な言い方もよく聞きます。
しかし実際には、言葉がしゃべれず、文字や数などに全く興味のなさそうにみえる「重度」の子どもも、同じように行きたがらなくなることはあります。
先の理屈だと、これは説明できません。
私たちは経験的に、そのどれもが、「自分を守るため」の表現であることを知っています。
障害の重い、軽いなど、なんの関係もありません。
「ここにいる私」は、ゆるがないもののはずなのに、「ここにいない」かのように感じられてしまうのでしょう。
それは地面が抜けてしまうような恐怖です。
私は、確かにここにいるのに、「ここにいる私」が感じられない…。
これは緊急事態です。
「ここにいる私」が感じられる安全な場所まで戻って出直すしかありません。
「ここにいる私」が確かめられる場所に戻って、地面の揺れが収まるまでじっとしているしかありません。
そこで、消えかかった「ここにいる私」の輪郭を取り戻すこと。
この学校の子どもであること。
このクラスの一員であること。
できる、できないじゃなく、私が私であることで無条件に所属し、安心していられる場所であること。
そこから、自分自身が向かっていく未来への希望と、向かう姿勢を育んでいくこと。
そもそも、「障害」も「不登校」も「直す」という関わりは、なじまないのです。
障害をもって生きる生き方は、その当人のみが生きられる道であって、誰も教えたり、変えたりすることはできません。
まして、健常者として無難に生きてきた親に教えられることはありません。
もちろん、障害を持って生きることに関しては、専門家など逆効果です。
その子自身に寄りそう気持ちがあるとして、それでも大人にできることは、子どもが「ここにいる私」を安心して感じられ、そこから自分の興味を育てていける普通学級という環境を用意することがせいいっぱいです。
親や介助者、先生がしていいことと、してはいけないことの幅は、いつもここに立ち戻って考えられるべきだと思います。
◇
最近のありんこさんのブログに、あーちゃんが学校に行きたがらなかったときのことが書かれています。
あーちゃんは、やっぱり私の師匠なので、ここでも大切なことをいくつも教えてくれました。ありんこさんの対応も見事なので紹介します。
◇
《5月不登校寸前》
5年生がスタートしても元気に学校へ登校していた末娘でしたが、GWの谷間の登校日、学校へ行き渋り始めました。GWに突入したあたりからちょっと重い湿った咳をするようになっていたので、体調がいまいちなのかなとも考えていたのですが。それにしても、それ以降の末娘は学校へ行く仕度も気が進まない様子。
それと時を同じくして「うるさい!!」「関係ないでしょ!!」「バカ!!」と暴言の雨アラレ。私が何か話しかけようとすると間髪入れずにこの暴言が言葉をさえぎります。顔つきもきついきつい…。もうこの言葉を家で浴びせかけられる私が具合が悪くなりそうなほど。
家庭訪問時に担任に相談してみよう、学校での様子を聞いてみようと思っていたのですが相談できる雰囲気ではなかったので、じゃあ校長先生や教頭先生を交えて相談してみようと思っていましたが、面談もまたキャンプの為の打ち合わせのみで時間を使い切ってしまってその時間はありませんでした。
その後も末娘の様子を見ていましたが、一向に改善する様子もなく、「学校へ行かない!」とまで口にするように。末娘の荒れようは悪くなる一方でした。
担任は顔を合わせようとはせず、私には意図的に避けられているような印象を受けていました。仕方なく連絡帳で担任に相談し、学校での様子を聞くことにしました。
これまでの経験で大体の想像はつきますが、これ以上事態を悪化させたくはありませんし、ここで担任とコンタクトを取っておかないとややこしくなってしまいそうな予感もありました。
それにしてもたった一ヶ月足らずでここまで末娘が荒れるとは…。私はその変貌振りに学校への怒りすら感じていました。口の利けない子供に対してどんなことをしてもいいんだろうか?と。
末娘のような子供と付き合ったことのない先生が学級を受け持って戸惑うだろうことはわかります。その地点からどんなことができるだろうか?と考えながらかかわってもらえたらありがたいといつも願っているのですが、まず、クラスからの引き離しへと方向付けられてしまうと、今回のように末娘の様子が見る見る変貌していってしまうのです。
末娘のような子供と付き合ったことのない先生は言葉で上手く説明できない子供なら、どんな対応をしても親にも訴えることができないだろうと考えるのでしょうか?
それで子供が荒れて不登校にでもなれば、「ほら 普通学級はお宅のお子さんには無理だったのですよ。」と別の扉を指差せば親も納得するだろうと考えるのでしょうか。
ここで療育機関の医師が「普通学級へ行った親子がやがて疲れ果ててボロボロになって支援学校にやってくるんですよ。すると何倍も大変なんですよ。」そういった背景はこんなことなんだろうと書いていて合点がいってしまいました。
私が末娘の付き添いで教室に居た時も、末娘の次に先生にとって頭の痛い子供への対応もそういったものでした。
決して集団生活から少しばかりはみ出してしまい叱られることが辛いようではありませんでした。
教室の中で一人だけクラスの一員ではないような罰を与えられることのほうが、何倍もその子の自尊心を傷つけているように私には映っていました。
またよく「○○出来ない子は、あおぞら(支援学級)行ってもらうよ。」というのも口癖でした。
ある時そう口にした後に私たち親子と目が合ってハッとして、「1年5組さん(存在しない学級)に行ってもらうから。」と支援学級の名前をだすのを止めました。
それまで差別的な言葉と意識もしていなかったのでしょう。
私たち親子の顔を見て初めて自身がどんなことを言っていたのか自覚したのだなと思ったものです。
私たち親子の存在も気づくきっかけくらいにはなったのだなと普通学級に居る小さな意味を見出したのでした。
けれどそれぞれの行為は先生にとっては教育するにあたっての一つの技法のようなものなのでしょう。
そうした行為に疑問を感じているような先生は居ないようにも感じました。(意識している先生は初めから使ってはいませんでした。)
時には女性の先生が荒々しい言葉で担任しているクラスの子供たちを威嚇することもありました。
そうした行為・教育的技法は以前の住まいの学校に限らず全国どこでも行われていることなのだなと、昨年と今年の様子も見守ってきていて思います。
今回、連絡帳を使って担任へ娘の様子を伝え相談すると、いつもは顔を見せない担任が時間を割いて対応してくれました。
決して自らの非を認めるようなことはしませんでしたが、学校で末娘ばかりでなく、先生にとってもクラスの子供たちにとっても、困った行動を軽減するためにマメな声かけをしてくれるようお願いして対応してもらうようになりました。
すると末娘はまた学校への気持ちが満ちてきているようにみえます。
そして嘘のようにあの暴言と荒々しさが消失し始め、家での荒々しさもきつい顔つきもずっと柔らかくなってきました。
まるですべての原因が子供にあるかのような言い方は間違いです。
どれだけクラスの中で担任の存在が大きいのか、それを抜きにしては語れないことだと今回の出来事で強く学びました。
私はいつも末娘の味方でいたいな。
言葉が話せなくても、何が出来なくても、未熟なところがたくさんあっても、末娘の心の叫びに耳を傾け続けようと思います。(2012年5月27日)
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森 晴子
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