ワニなつノート

「インクル」と「フルインクル」(その3)

「インクル」と「フルインクル」(その3)


『シンドラーのリスト』という映画を見るまで、
私は、その話を全く知りませんでした。
杉原千畝のことも、全く知りませんでした。

二人が語り継がれるのは、
第二次大戦中、ナチスに殺されかけた
多くのユダヤ人の命を救ったからです。

当時のドイツでは、「生きるに値する命」と、
「生きるに値しない命」が、
明確に分けられていました。

「生きるに値しない」のは、
精神障害者、知的障害者、そして、ユダヤ人でした。

ユダヤ人に関しては、「アンネの日記」、
フランクルの「夜と霧」、
映画「コルチャック先生」など、
あまりに有名なものが多くあります。

でも、障害児の「安楽死」については、
ほとんど目にしません。
それは殺されゆく「当事者」が、
「ことば」を持たなかったからでした。
そして、誰も彼らの「ことば」を
聞こうとしなかったからでした。

たとえば、「白痴児童の教育ならびに擁護組織」
「フランツ・サーレンハウス」という施設では、
1290名の収容者のうち、
787名の子どもや大人が、バスに乗せられ、
安楽死の施設に移送され殺されました。

       ☆

それと同じ時代、リトアニアの外交官だった杉原千畝は、
日本の外務省の命令に反して、
ユダヤ人が亡命できるようにビザを発給し、
6000人余りの命が救われました。

テレビでみた写真を思い出します。
杉原さんに助けられたユダヤの人たちの子どもたちと孫たちが、
写真の画面いっぱいに映っていました。
もし、彼がいなかったら、助からなかった命、
生まれなかった命でした。

『どれほど脱出に成功したユダヤ人たちが、
この杉原ビザを大事にしていたか。
安住の地に脱出後も肌身離さず持ち歩き、
あるときテレビ取材があったとき、
それを貸し出すのはおろか、
撮影することさえ難渋した言うエピソードが残っています。
この時、ユダヤ人は、
「このビザのおかげで私はここに生きている。
もしこれを杉原が書いてくれなかったら、
この息子たち、孫たちの誰ひとりこの世に存在していない。
これは私と私の一族の命であり魂である。
その命や魂をお貸しするわけにいかない、
テレビなどには決してお見せするわけにはいかない」
と誰しも口を揃えて話したと伝えられています。』

リトアニアには、杉原の功績を讚え、首都ヴィリニュスに
「スギハラ通り」と名づけた通りがあるそうです。

 ☆    ☆    ☆

インクルとフルインクルの話を書きながら、
どうして、私は「シンドラーのリスト」と
杉原千畝を思い出したのか。

それは、私の中で、金井康司、
横塚晃一、横田弘、小山内美智子、
橋本みさお、福島智、
平本歩、折田涼、仲井秀和……、
といった人たちが、
シンドラーや杉原千畝のように思えるからでした。

金井康司は大切な友人でした。
Hideは小学校1年のときから、近くで見てきました。
歩さんは、小学校1年のときから、遠くで見てきました。
横塚さんは映画と本の中でしか知りません。
横田さんや橋本さん、福島さんも本の中でしか知りません。

この人たちの存在がなければ、
いまの私は存在しませんでした。

私がもっとも大切にしたいこと、
その確信と安心を与えてくれたのは、
ノーマライゼーションとか
インクルージョンといった「欧米」の話ではなく、
この国で、この国と闘って、
「ふつうの生活」を手に入れた人たちでした。

どうしても、そのことをちゃんと書いてみたいのですが、
あまりにテーマが大きくてで、時間がかかりそうです。

コメント一覧

yo
岩ちゃんへ

ほんとにお久しぶりです。
年を取ると、年月のすぎるのが早いというのは本当ですね。
時間が新幹線のようにビューって通り過ぎていきます。
「人間五十年。…夢幻のごとくなり」
でいえば、ついつい「残り時間」を考えてしまいますが…。

ちゃんと中身の返信をしようと考えていたのですが、
考えれば考えるほど、時間だけが過ぎるので、
しばらく、「熟成」させることにします。

「地域の普通学級」が当たり前と言いながら、
二十歳を過ぎても、親が子どもの手を放さない、という「当たり前じゃない」ことが多いのはなぜなのか。

それも、親個人の「能力」の問題にしてはいけないんでしょうね。
まあ、自立生活の前に、「高校」でさえ、「自粛」している親が圧倒的なのだから、「自立生活」の自粛はもっと、ということでしょうか。

……と、ついいろいろ考えてしまうのですが、
とりあえず、9月19日、
全国連には行きますので、
そこで久しぶりに話せるでしょうかね(^^)v

そうそう、こちらから、そちらに引っ越す人がいるので、その人も紹介したいと思います。
よろしく(o|o)

PS
「後出し支援」って、すぐに「後出しジャンケン」を連想してしまって、それから「意味」を考えてしまうような気がするので、中身で言うなら、
「ついていく支援」とか、もうちょっといいネーミングがいいと思うんだけどな~(-。-)y-゜゜゜


岩ちゃん
http://blogs.dion.ne.jp/takonoki/
ご無沙汰しています。
自分のところのブログでは、言いたいことや伝えたい事が山ほどありすぎるのと忙しさを理由に停滞していま~す。

私自身そもそもインクルやフルインクルのようにカタカナ語が非常に苦手。
でも、昨今「普通学校へ・全国連」で千田さんと山田さんとがその事をめぐりやり取りしているのを読んで、そこにおぼろげながらですがインクルのおかしさと言うか、「誰もがあたりまえに普通学級へ」の取り組みと「誰もがあたりまえに自立生活」への取り組みがつながって行かない理由があるように思いました。

 わたしの現場で言えば「自立生活させるのか?」「自立生活するのか?」と言う事。
 親元から巣立っていくと言う点では一見「させる」様にも見えるし、ヘルパーを使っての生活と言う点でも一見「させている」風にも見える。

 でも、Hideさんもこちらの人たちも確実に自らが自らの生活をしていると感じている。

 なぜなら、もしさせていたなら彼らに学ぶ事は何もないけど、彼らが自らの生活を営んでいるからこそ、常に考えさせられ、次へとつづくものを学ばされ、そして次から次へと自らの生活を欲する人たちが現れているからです。

たぶん私はフルインクルの方かな?
その言葉の意味はよくわからないのですが、障がいの故に地域で生きられないと言うのは、その人の問題ではなく、私の側の問題であり、私の側に問題があるから、とにかくどんな方法をとっても地域から奪われない事を最優先に地域にいる限り常に考え続けられるのだと思ってやっています。

最近覚えた言葉に
「後出し支援」と言うのがあります。
何かが起こらないように支援するのではなく、起こったところで必要となる支援を考え担う。
転ばぬ先に支援する方が本当に楽なんだろうと思うけど、人の人生どっちに転ぶか分からないのに転ばぬ前に支援してしまっては、結局こっちの許容範囲・視界の範囲でしか支援しない事になってしまう。

だから「後だし支援」
そんなことを考えています。

お邪魔しました!!
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