ワニなつノート

「インクル」と「フルインクル」(その4)

「インクル」と「フルインクル」(その4)


昨日、壮大なテーマをぶちあげてしまって…(o|o)
急いで付け加えないといけないことがあります。


なぜ、シンドラーと杉原千畝のことを思い出したか。
なぜ、ナチスの障害児の安楽死計画を思い出したか。
それは「殺される命」と紙一重の命のことを
忘れてはいけない、と思うからだったと思います。

「障害の理解」とか、学校の先生はよく言うけれど、
「障害をもって生きる」ということは、
「殺される命と紙一重の命を生きる」ことだと、
そのことを知らなすぎると、思うのです。
「第二次大戦中」のことではありません。
「いまも」です。

「子どもたちのこと」(1)で紹介した
たっくんとの出会いもそうでした。
(2008年12月8日)

     ☆    ☆    ☆


バクバクの会・10周年記念集会報告集には、
榊原さんという医師の次のような報告があります。

「バクバクの会発足10周年おめでとうございます。
今年で私が自分の受け持ちであった
ウェルドニッヒホフマン病の赤ちゃんに、
親御さんとともに迷いながら人工呼吸器をつけてから
ちょうど20年が経過しました。
当時の医学の常識では、ウェルドニッヒホフマン病を始めとする、
神経筋疾患の子どもたちに人工呼吸器をつけることは
考えられませんでした。
教科書には、回復の見込みのない呼吸障害のある子どもには
人工呼吸器をつけるべきではない
、と書かれていました。」

歩ちゃんが小学校に入ったというニュースを聞き、
また、折田涼くんが小学校に入ったというニュースを聞き、
いつのまにか、人工呼吸器をつけてがんばっている
子どもたちの苦労は、学校に看護師をつけることだったり、
親の付き添いなしで生活することだったりと、
そう思っていた自分は、
なんてお気楽なんだろうと、思いました。

歩さんや涼くんが、いま、同じ時代に、
普通小学校から高校までを生きていてくれること、
そのことを私が知り、話を聞かせてもらえること、
それは、彼らが幸運にも、生き延びることができた
子どもだったからでした。
わたしは、そんなことを忘れていました。

     ☆    ☆    ☆

また、ALSという病気をかかえ、
17年前に人工呼吸器をつけてからの、
橋本みさおさんの自立生活という生き方からも、
私はたくさんの希望をもらっているのですが、
それも、一歩間違えば、17年前に
命が閉じられていたかもしれないのです。

【医師たちの中には、人工呼吸器装着に
否定的な意見もあったという。
「核家族、子どもは小学生、配偶者は一見病弱風。
人工呼吸器をつければ、この家族は介護できずに
共倒れになるのでは?と」
「危うく医者たちに殺されるところだった」
このエピソードを後に知ったみさおは今でもいう。】
(「マドンナの首飾り」中央法規)

実際、日本では、ASLの患者さんのうち、
70%以上の人が
人工呼吸器をつけない「選択」をすると言います。

しかも、「女性」、「主婦」「母親」であることで、
呼吸器をつけない「選択」率はあがります。

呼吸器をつければ、生きられることが分かっていながら、
「つけない」選択をすること。
そこにも、「病気」や「障害」に加え、
「女性」であること、「主婦」であること、
「母親」であることで、
幾重にも、「生きたい」という思いをがまんさせ、
あきらめさせる力が働いています。

自分が人工呼吸器をつけたら、
家族が自分の介護にしばられる。
子どもたちの一生が、自分の介護にしばられる。
そう考えて、「つけない」選択をすること。
それは「選択」とは言いません。

そして、ふと思うのです。
それが「女性」「母親」に背負わせている負荷が、
暗黙のうちにあるのだから、
子どもを普通学級に行かせることをあきらめる
母親もたくさんいるのでしょう。
どこか「あてにならない」自立生活をあきらめる
母親もたくさんいるのでしょう。

     ☆    ☆    ☆


去年、高校の会20周年を記念して、
Hideと歩さんの講演を企画しました。

NHKで紹介された歩さんの生活と、
歩さんのお父さんの思い、
そして、何より大人になった歩さんの話を直接聞けたのは
とてもうれしいことでした。
短い時間で、歩さんの生活や苦労が
理解できるわけではありません。
でも、パソコンを使い、介助者との目での会話を通じ、
私たちは、「ことば」として、
歩さんの思いを聞くことができます

Hideは、出番前に自主的に帰宅してしまい、
ほとんどの人が、Hideに会うこともできませんでした。
まあ、会場にいたとしても、Hideはパソコンを使うでもなく、
介助者がHideの言葉が分かるでもなく、
誰も、Hideの思いを「ことば」で聞くことはできません。

でも、それよりも肝心なことは、
私たちが、歩さんの「ことば」でも、
Hideの「ことばのないことば」でも、
聞けない「障害児者」の苦労があるということです。

それは、Hideの、いま生きて、生活しているそのことを、
「ことば」の代わりに、私たちがいま分かることも、
もし、Hideが、施設に入っていたら、分からないのです。
見えないのです。聞けないのです。
Hideが、養護にいっていたら、ここにはいません。
そもそも、ここに今のHideが「いない」のですから。
「障害のあるふつうの子ども」として、
ふつうの子ども時代を過ごし、
地域の中で、介助者付きの一人暮らしをしている
Hideが、ここにいないのですから。

「いるだけ」
それが、どんなにすごいことか。

歩ちゃんが、赤ちゃんのとき、
呼吸器をつけてもらえなかったら、ここにいません。

私たちが聞けることば。
それは、Hideや歩ちゃんが、
ここにいること。

目の前にいる「障害児の苦労」、
私たちが、それを前提にして考えるその前に、
「障害児」の苦労とは、そこに、
「殺される命と紙一重の命を生きる」こととしてあることを、
私は忘れないでいようと思います。

(まとまらない文ですが、今日はこのまま入れます。
これを読み返しながら、自分でも考えて見ます。)

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mayumi
今日は、hideの26歳の誕生日です。先日、hideのアパートで、誕生会がありました。介助者の皆さんが企画してくれました。私が、着いた時には、hideもワインを飲んでいい気分の状態でした。介助者からプレゼントを貰っても、感激の表現をするわけでもなく、親の私は、申し訳ない気持ちになります。
一人の介助者が、hideとのやり取りを話してくれました。夜中、急に冷蔵庫を開けて、どうもキムチを食べようと思ったのにない。それでhideはキレているようなので、「これから買ってくるよ。」と言うと、申し訳なさそうにする。「いいよ。」と言っているようだけど、「そんなに怒っているんだから、買ってくるよ」みたいなやり取りをしたそうです。hideは、一言も話せないので、本当の事は分かりません。「買ってきてもらったキムチを申し訳なさそうに、頂いたそうです。
そんな、やり取りがすごくうれしい母でした。
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