※ このシリーズのこの場所に、「寄る辺なさ」を置いておこうと思います。
『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』とという枠組みをモデルにして、共に育ちあう教育について書いていますが、「介護」の「書き換え」ではどうしても伝えきれないものが残ります。
その一つが、認知症によって「寄る辺」を失うことと、失う前に「寄る辺」を奪われる子どもとは、やはりその意味合いが違うように感じることです。
◆ ◆ ◆
「寄る辺なさ」(helplessness)
【3・11以降、大震災と原発事故は、膨大な数の人びとに、いくつもの層のよるべなき状態をもらしている。帰るべき家、帰るべき職、帰るべき故郷を失った人たちのよるべなさ。
帰るべき家も土地も職場も田畑も海もあるのにそこから遠ざけられている人たち、そのようにして生きられる環境を奪われた人たちのよるべなさ。
…親を失った子どもたち、子を失った親たち、きょうだいを失ったきょうだいたち、…こういった人たちのかかえるよるべなさ。】
(『家族という意思』芹沢俊介 岩波新書)
◇
上記のような心の状態を「よるべなさ」と言うのであれば、帰るべきクラス、帰るべき学校、三十人のクラスメートを失う子どもの心の状態もまた、「よるべなさ」といえます。
帰るべきクラスも学校も地域にあり、友だちもそこにいるのに、そこから遠ざけられていく子どもたち、そのようにして生きられる環境を奪われた子どもたちの「よるべなさ」。
「寄る辺なさ」という言葉をきっかけに、44年前に教育委員会に呼びだされた時の自分の感情を思い出し、「分けられる」ことにこだわり続けた子ども時代を思い出しました。その感情は、高校を卒業するまで、私の生活から離れることはありませんでした。大学に入り、分けられる恐れがなくなって始めて、自分と同じように分けられかけている小さな子どもたちのことが気になるようになりました。それから三十年あまり、いつのまにか私は、人生のほとんどをそのことに費やしてきました。
だから「寄る辺なさ」という言葉は印象的でした。ああ、こんなところに、「ことば」があった。そんな気持ちでした。
その「ことば」に出会って、3・11の衝撃と無力感の続いているなかで、改めて自分が子どものとなりで何をしたかったのかを考えました。私は、ただ子どものよるべなさを、なんとかできないものかと思ってきたようです。なかでも、「分けられること」にこだわってきたのは、それが「寄る辺なさ」を子どもに植え付けるものだからでした。
特別支援教育は、障害のある子どものニーズに応えるための「支援」をするのだと、一般に思われています。ただし、「子どものニーズ」の中心にある「みんなと一緒」を支援することはしません。「特別支援」の前提には、「みんなと一緒が無理」な子どもにどう対処するか、と考えているところがあるからです。
自分がみんなと同じ子どもであること、自分がクラスの一員であること、そうした子どもとしての受けとめられ体験を、手放す代わりに提供されるのが「特別支援教育」です。
それはつまり、子どもの「寄る辺なさ」と引き換えに、与えられるのが「特別支援教育」ということになります。
子どものためにと、「通級」を勧め、やがて固定の特別支援学級に変わっていくこと。そうしたやり方は、子どもにとって大地震や津波の被害にあったような寄る辺なさをもたらすかもしれないということ。
原発の事故のために、家も田畑も先祖のお墓もすべてそこにあるのに帰ることもできない人たちの抱える寄る辺なさと同じように、学校もクラスメートも先生も変わらずにそこにあるのに、自分一人がそこには帰れない、という寄る辺なさを与えていること。特別支援を勧める人たちは、そのことにあまりに鈍感です。
子どもにとって、普通学級にあるもの、そこでしか得られないものが確かにあります。
それは、「障害」よりも、同じ年齢のただの女の子(男の子)であることを見てくれる子どもたちとの出会いと日常です。お互いにそこに同じ子どもとして「いること」「いあうこと」です。お互いに一人の子どもとして、「受けとめあう」仲間がそこにいる、ことです。
ありのままを受けとめてくれる仲間が、当たり前にいるなかでこそ、子どもは自分の障害をふくめて自分で受けとめることができるようになります。
それはまた、「くつろぎ」「結びつき」「共にいること」「たずさわること」「自分であること」というニーズとして語られます。
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