学校内虐待 障害児の悲鳴を聞け
毎日新聞 2013年02月05日
頭をこづく、襟首を持って引きずり回す、床にたたき付ける、罵声を浴びせる。
障害のある児童・生徒に対する先生の虐待を最近よく耳にする。
まさか、と思われるかもしれないが、どこでも虐待は起こり得る。
学校だけが例外であるわけがない。
障害者虐待防止法が昨年施行され、連日のように各地の市町村に相談や通報が寄せられている。
ところが、同法で定められた調査対象は「家庭」「福祉現場」「雇用現場」だけで、「学校」「病院」は直接調査に入ることができない。文部科学省や医療関係者が反対したからだ。
しかし、障害者の親の会を対象にした調査では、家庭や福祉現場よりも学校での虐待件数の方が多かった。
人手不足もたしかだが、福祉現場も人手は足りない。
むしろ、密室化した教室で力ずくの指導、感情に任せた叱責がまかり通っているとの声を現場の先生たち自身から聞く。
教員資格は持っていても障害特有の心理や行動特性は意外に知らない先生が多いというのだ。
障害者の人権に関する法整備が進み、行動障害に関する認識や対処方法も開発されてきた。
そうしたことに関心を持たない無知や独善も虐待を生む一因となっているのかもしれない。
虐待防止法が施行されてから、福祉現場の管理者や職員に対する研修は盛んに行われるようになった。
地域によって温度差はあるが、大阪府では専門のスーパーバイザーを60人養成し福祉現場に派遣して支援技術を向上させ虐待リスクを低減させる職場の構築に努めている。
そうした改善に向けた取り組みの流れから外れているのが学校だ。
同法では学校と病院の管理者に虐待の予防改善義務が課せられた。
心を痛めて孤軍奮闘している先生もいる。
心理や福祉の専門職の協力も得て学校現場を改善すべきだ。
一方、国連障害者権利条約を批准するために国内法の見直しが現在行われている。
中央教育審議会は昨年、「インクルーシブ(包摂的)教育」の推進や障害特性に合った合理的配慮を学校現場に導入する報告書をまとめた。
障害のある子もない子も同じ場所で学ぶことを原則とするのだが、現在そうした統合教育に積極的な学校も発達障害などの特性に配慮が足りず、専門職を含めた人員不足もあって、子どもがストレスで2次障害を起こし福祉現場に救いを求めてくるケースが後を絶たない。
インクルーシブ教育が大事なのは当然である。
しかし、学校が今のままではつぶれる子が続出するのではないか。
悲鳴すら上げられず自らを傷つけている障害児を見てほしい。
子どもが言わないため、先生たちは原因を知らないだけだ。
◆
気持ちの悪い社説だと思います。
虐待される障害児のことを心配する姿勢を前面に出しながら、問題をあえて「あやふや」なまま読者に提示することで、ある印象を与えています。
あやふや①
まず「学校」とは、どの学校でしょう?
小中学校の普通学級なのか、特別支援学級なのか、それとも特別支援学校なのか?
なぜ、そのことを一言も触れないのでしょう?
あやふや②
また、「先生の虐待を最近よく耳にする」とありますが、障害児への虐待はぜんぜん「最近」などではありません。
「最近」に意味があるとすれば、特別支援教育が始まってからの「最近」、「障害児」(特別支援教育の対象児」が激増したことですが、そのことにもまったく触れていません。
特別支援学校での、障害児への虐待が「最近多い」のであれば、そもそも「専門・家」を疑う視点は不可欠のはずです。
そうした内容をあいまいにしたまま、最後に「インクルーシブ教育が大事なのは当然である。しかし…」という言葉を使うことで、普通の読者には、この社説の「学校」は「普通学校」というイメージが残ります。
あやふや③
「インクルーシブ教育が大事なのは当然である。しかし学校が今のままではつぶれる子が続出するのではないか。」
つまり、インクルーシブ教育は現時点では、「障害児がつぶれる」教育だとも読めます。
これは、私の性格が悪いからでしょうか?
「悲鳴すら上げられず自らを傷つけている障害児を見てほしい」?
この社説の方向で、私が出会ってきた子どもたちが、自信を取り戻す方向にはいかないと思います。
少なくとも、私がこの30年の間に出会ってきた障害のある親子は、普通学級であれ、特殊学級であれ、いま子どもがいる居場所で、子どもを傷つけるなと声をあげることで闘ってきました。
必要なのは心理や福祉の専門家などではありません。
目の前の子どもを、誰も切り捨てない、排除しないという、子どもの人権を守るという覚悟です。
その自覚のない人が、そもそも「先生」でいることがおかしいいのだという意識がないから、普通学級でも特別支援教育の場でも、虐待がおこり続けている、というのが実態だと思います。
それに関して覚悟のない「専門家」など、なんの役にも立ちません。
障害児の虐待をなくすために、わざわざ「インクルーシブ教育」という言葉を使って、「しかし」という必要はありません。
「インクルーシブ教育」(フルインクル)が大事なのは、その先にしか「インクルーシブな社会」は生まれ始めないからです。
私はそう思います。
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