【近事片々】:殴られた者の気持ちが分かるのか
毎日新聞 2013年02月01日
プロレスラー、ジャイアント馬場さんが生前小紙で語った。
今こそ、再びご紹介したい。
「よく『体罰は愛のムチ』なんて言う人がいるが、そんなことはあり得ない。殴られた者の気持ちが分かるのか」
中学時代に教師からクラス全員の前でビンタを受けた。
「学校というと、たった1回のこの体罰を思い出す」
若手レスラーの指導でも一切手を上げなかった。
(97年10月11日の朝刊「学校と私」)
(後略)
◆
この短い記事を何気なく読んだあと、「学校というと、たった1回のこの体罰を思い出す」という一言が身体にのしかかる気がしました。
97年とあるので、馬場さんが亡くなる2年前、59歳のときの言葉になります。
人の一生の中で、「学校」という言葉が、「たった一回の体罰」という意味をもつこともあるのだということ。
小学校、中学校、高校と、子ども時代のほとんどを占める学校の思い出が、たった一回の体罰に奪われることがあるということ。
その「たった一回」が、「若手レスラーの指導でも一切手を上げなかった」という一生を貫く生き方になるほどの影響を与えるということ。
なでしこジャパンの佐々木監督が、「子供たちの未来に触れていることを忘れてはいけない」と語った言葉の意味が、ここには書かれています。
そして、私には昨日のブログで紹介した土本さんや早坂さんの言葉が重なります。
たった一回の体罰が一生の中で生き方にかかわる意味を持つように、普通学級という、誰もが当たり前にいる仲間の居場所から、分けられることもまた、「子どもたちの未来」「子どもたちの一生」にかかわります。
私が、普通学級から分けられたのは、たった一日だけです。
それでも、こうして一生こだわり続ける人生の意味の一つになっています。
この30年、目の前には、いつも分けられる6歳の子どもがいました。
ここ十日くらいは、「いける? だいじょうぶ?」とつぶやく二年生の女の子の声が、繰り返し聞こえています。
特殊学級に入学後、普通学級に戻ろうとしても戻れずに、相談にきた両親の間に座っていた女の子の言葉です。
通級とか、特別支援学級とか、名前は変わっても、子どもを子どもの意に反して「分ける」ことを、子どもの幸せのように語るのは、体罰が愛のムチだというのと同じだと私は思います。
「自分の気持ちを一言も聞いてもらえずに、分けられた子どもの気持ちが分かるのか」と。
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