ワニなつノート

名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その2)



名古屋のお母さんたちと話していて、気づいたこと。(その2)



この子が、ふつう学級にいることは、かわいそうではない。
それは、この子がふつう学級にいる年月のすべてで教えてくれたこと。


「分からない授業はかわいそう」…それが本当だったらどうしよう。
私がこの子の気持ちに気づけなくて、本当は「苦しいよ。ここにいるのはつらいよ」と訴えているのに、その声が私に聞こえないとしたら…。
そういう迷いや怖れに揺れたこともある。


いまはそのころの自分に、声をかけてあげられる。

「心配しなくてもだいじょうぶだよ」

あなたにこの子の声が聞こえていない訳がない。この子の笑顔が本物かどうか分からないはずがない。この子が生き生きと生きている喜びを感じない訳がないのだから。

「親だからこの子のことがわかる」、というのではない。

むしろその逆だ。「この子には、この子の世界がある。」


この子が自分で見て聞いて感じる世界がある。

この子が泣いたり、怒ったり、笑うのは、親と一緒の時間だけじゃない。

親の知らないところで、親の知らない出会いがあり、視線や音や声や言葉のやりとりをする相手がいて、親のしらない笑顔が無数にある。

そのなかで、この子が一年一年成長する姿を、毎日一緒に暮らしている親が、間違うはずがない。


そこで仲間と生き生きと生きている子どもの姿は、親としていちばんのよろこびと感じられた。


自分の感情に嘘をつかず、そう思えたから。

子どもと向かい合う日々のなかで、これでいいのか、という疑いの気持ちが年月を重ねるごとに消えていくのに気づいたから。

いまも迷いがよぎるときは、目の前の子どもの姿からではなく、自分の子ども時代の怖れからだと気づいているから。



本当に苦しいときには、学校に行かないと、身体で表現したこともある。

この子が学校に行けない苦しさは、授業が分からないことなどではなかった。
辛いのは、テストの点数が取れないことではなかった。
走るのが遅いことでもなく、歌が下手なことでもなかった。


この子がうつむくのは、「あなたはここにいてはいけない」というまなざしを浴びすぎる時だった。

質問に答えられないなら、授業に出ても仕方ないとみられること。みんなのじゃまになるからと、音が出ないように笛にテープをはられること。歌わなくていいと言われること。みんなと一緒に参加しなくていいと、配慮されることだった。


そのとき気づくのは、この子の苦しさは、親が変わってあげられるものではないという当たり前のことだった。

それは、この子が自分の人生でぶつかった苦労の一つであり、この子が自分の人生を生きているということ。

それをなかったことにしたり、変わってあげることはできない。


私にできることは、「主人公であるこの子」の味方でいること。
この子がここにいることを、絶対に手放さないことだった。

いま、この子がいる場所は、いつだってこの子の居場所だ。
この子は、いつのときも、この子のままで堂々と生きている。

それを誰よりも知っている私が、この子がここにいることに遠慮などしない。
それは、この子が堂々と生きる人生に対して、失礼なことだと思うから。


この子の人生に敬意を持てない人の言葉を怖れることはない。

いま、この子がここにいる、ことを認められない人の言葉に迷うこともない。


私は、いま、ここで、堂々と生きているこの子の姿を、最前列で見て、感じて、一緒に生きてきたのだから。
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