ワニなつノート

癌と娘と就学相談会(その12)

癌と娘と就学相談会(その12)


《 抗がん剤のこと 》

抗がん剤の治療が苦しいものだということは、頭では知っていたつもりでした。
ただ私が読んできたのは、ほとんどが癌で亡くなった人の手記や医師の書いたものだったので、手術がうまくいった自分はそんなには苦しくないのだろうと思っていたようです。

私の頭の中にあったことは、どれもこれも大間違いでした。

5時間ほど抗がん剤の点滴を受けている間、カーテン越しに隣の会話が聞こえます。
左隣りの女性は、前回の点滴時に針が上手く入っていなかったようで、点滴直後のもっとも苦しいときに皮膚科にも通わなければならなかったようです。
そのため本当に、必死な声でちゃんと針を入れてほしいと訴えていました。
あの「声」の苦しみの中身が、いまは分かる気がします。
分かる、というより、恐いと感じる、ようになりました。

右隣の女性も、前回は泣きながら点滴を受けていたようです。
「今日は大丈夫みたいね」と、看護師さんが話すのを聞きながら、泣きながらの理由が痛みだったのか、吐き気だったのか、と漠然と思っていました。
でも、私が頭で考えることは、やっぱり大間違いでした。
点滴が終わるころ、看護師さんがその女性に話しかけるのが聞こえました。
「遅くなっちゃったけど、子どもさんは大丈夫かしら」
「ええ…」
「いくつになったのかしら」
「…2歳です」

その声を聞いたとたん、2歳のころの娘の姿が浮かび、そこから幼稚園、小学校、中学校、高校、成人式、そして今までの娘の姿がフラッシュバックのように浮かびました。
娘と一緒に暮らせた22年間という関係の積み重ねが、どれほどかけがえのない日々であったかを思います。
そこに障害の有無の入る余地はありません。

私が「会」で出会ってきた親が普通学級での当たり前の日々に込めてきた願いは、そういうものだったのだと思います。


抗がん剤の副作用で、一人家で倒れていると、いろんな人や本のページを思い出しますが、なかでも二人の女の子のことを思い出します。
一人は、定時制の授業で癌のことや臓器移植の本を教材に使っていたとき、「私も白血病でした…」と作文に書いてくれた子。
その作文はいまも手元にあります。
もう一人は、教材に使った細谷亮太さんの本をみて、「あ、私の先生だ」とつぶやきました。
その子も白血病でした。

彼女たちが、小中学生のときにどんな思いをしてきたのか、どうして定時制高校に来ることになったのか、その高校で何もわかっていない教師(私)に、病気のことを授業で扱われることをどう感じていたのだったか…。
そんなことを今更ながら、思います。


(抗がん剤の1クール目は、これくらいなら我慢できる範囲かな…と思っていました。
ところが2クール目になると白血球の数も激減し、たえず喉にラップが張り付いた感じで、吐き気がなくなることもなく…。いろんな気力や生気が落ちていく気がします。

で、とりあえず8クールと言われてるので(・・;)、点滴を打つたび、2週間はブログお休み状態が続きそうです。)
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