今月30日に、千葉市で今年最後の就学相談会があります。
予定では28日が点滴の日なのですが、それだと30日には動けないと気づいて一週間延期することにしました(・.・;)
先日も、ちょっと調子がいいので夕食を作ろうとして、冷蔵庫の鶏肉を切っている最中、押えている手が突然しびれて痛み出しました。
指先から肘まで静電気が流れ続けているような感じ、かな。
その後は何を触るにも、一瞬、手が止まります。
足元に落ちた包丁を拾いながら、なんだか情けなくなります。
不安にさせ、心配をかけ続けてる娘に、夕食を作ることもままならないことに、情けなくなります。
昔読んだネズミの実験を思い出しました。
①ネズミが、餌を取るには、レバーを押さなければならない。でも、レバーを押すと必ず電流が流れる。その場合、ネズミは電流をがまんして、自分でレバーを押し餌を取るようになる。
②ところが、研究者が気まぐれに電流を流すような場合、つまり自分で「予測」できない状況に置かれた場合、ネズミはやがて餌も取らず動かなくなる…。
そんな感じの実験。
そのネズミになった気分から脱出するのが、一番大変な感じです(@_@;)
また言い訳が長くなりました。
そんな訳で、まとまりのある文章を書くことができないのですが、こんな状況だからこそ、「自分がどうしても伝えたいことが何なのか」と真剣に考えられるような気もしています。
《1.伝えたいこと》
前々回、就学相談会で一番「伝えたいこと」を、「子どもを分けないこと」と書きましが、考えたら、それは「親」に伝えたいことでした。
でも、私が本当に伝えたいのは「子ども」に、です。
あなたはどんなときにも一人じゃない、と伝えたい。
人は、
友だちは、
仲間は、いいもんだよと伝えたい。
いつも、この今、この瞬間のあなたと出会い続けたい。
そして、この世は信頼できるところだと伝えたい。
にんげんは信じられると伝えたい。
たとえ家族がいなくなっても、
友だちがいないときでも、
この世に一人も自分の味方がいないと思えるときにも、
あなたはひとりじゃないと、伝えたい。
《2.障害のある姿で堂々とみんなのなかにいること》
子どもが安心して、自分であることに自信を持ち、自分の好きなことに向かい、遠慮せずに自分を保ち歩めるように。
そのためには、子どもに感じさせてはいけないことの一番は、自己否定だと思います。
自分が愛されていないと感じさせること。
大事にされない存在だと感じさせることだと思います。
そのことは、特別支援教育を選ぶ人もうなずいてくれるだろうと思います。
なぜなら、就学前によく言われるセリフが、「普通学級では、みんなができて、自分だけできないと自己肯定感がもてませんよ。自尊感情が育ちません」だからです。
そしてそのセリフは、普通学級に行かせたいと考え始めた親を、もっとも揺れさせる言葉にもなります。
嘘ではなく、本気でそう言う人たちは、普通学級で大事にされない障害児をたくさんみてきたのでしょう。
私もそうした事例を数え切れないほどみてきました。
でも、その「原因」は、子どもの障害ではありませんでした。
必ずと言っていいほど、そこには担任の無理解があり、校長・教育委員会の無理解が原因としてありました。
また、特学や養護に転校した後に子どもが元気になった、という話しもよく聞きます。
それもまた事実なのでしょう。
自分をクラスの一員として受け止める気持ちのない担任や学校に居続けること、そこで誰一人助けてくれる大人がいないとしたら、そこから解放されるだけで子どもは救われる思いがするでしょう。
でも、そうした「ストーリー」そのものに、「自己否定」の芽があることに、その人たちは目を向けようとはしません。
普通学級で「自信をなくすような出来事、傷つく出来事があった」として、だから、他の場に移ったら、悪いのは自分か?と、思う子どもは必ずいます。
もちろん、いじめや暴力の記憶から、一時的に避難することが必要なことは私も分かります。
ただし、そこが特学の場合、普通学級に戻る道は閉ざされています。
《3.私が感じてきたこと》
私が、いま、こうして普通学級で生きたい子どもを守りたいと願うのは、
私が出会ってきた、普通学級にいる子どもたちが、うらやましいほどに幸せだと感じてきたからです。
知ちゃん、朝子、てつろう、たっくん、ゆうりちゃん、けいちゃん…。
親が、世間や社会の常識に遠慮はあっても、「この子がこの子のありのままでこの子の人生をまっとうすること」に、親として感じた子どもの願いにどこまでも誠実に、うそをつけない姿をみてきたからです。
教育委員会からのストーカーのような電話に怯えながら、時に校長先生に「子どもがいじめられてボロボロになりますよ、それでもいいんですか、お母さん」などと脅されながら…。
それでも、幼稚園保育園の友だちと一緒に学校に行くのを楽しみにしている子どもの気持ちを感じてしまった心を、なかったことができずに、ただ子どもの笑顔を見るためにがんばってきた親たちの姿をみてきました。
はるくんが養護学校に通っているときには、「かわいそうにな」「今頃、みんなと走回っとる頃なのにな」と、かなしそうな顔でつぶやいた隣のおじさんが、
普通学級に転校して友だちと下校する姿をみて、「お前はしあわせだなぁ」とつぶやいた気持ち。
その気持ちのままに、私はこの三十年生きてきた気がします。
羨ましいほどに愛され、守られ、ありのままを認められ、この子は幸せだなと感じる、親としての体の張り方を、私は見てきました。
子どもが何かを「できる」ようになるか、という以前に、
親が、子どもを、子どもとの関係を、子どもの希望を、どう受けとめ、感じているか。
子どもの姿、子どもの思い、子どもの希望を、「感じていながら」、親自身が自分に嘘をつかざるを得ないとしたら、
そうした社会状況が、子どものためにいいとは絶対に思えないのです。
特別支援に行かされる子の大増加は、そういうことです。
親が我が子の幸せを願い、我が子の息遣いと気持ちとぬくもりを感じるままに正直に生きられるように。
その親の子どもへの正直な思いこそが、子どもにとってどんなにか幸せなことだろうと、私は感じてきました。
このことが、特別支援教育を勧めたい人たちに、一番通じないことだったように思います。
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yo
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