ワニなつノート

くたびれる自立



先日の、「おしろ」で「くたびれる自立」をしていた人の補足を。

三田さんは、彼と話した後、
彼を支援する人たちにインタビューを行ったのだそうだ。


【その結果、昼食を自分で作る人は5人中1人で、
それも『前夜のおかずが余ったとき』に限られていた。
あとは、コンビニや弁当屋で買っていた。

直近で窓掃除をしたのは、どの人も半年以上前だった。
あるベテラン職員は私と同じで『掃除した記憶がない』と回答していた。
さらに、畳を乾拭きし柱を磨いている職員は皆無で、
『そんなことをしていたら息が詰まるよ』と笑って回答していた。

 最後に、彼が毎日5時前に起床し、すみずみまで綺麗にし、
誰よりもきちんとした暮らしを何日続けられるか、
との問いには誰もが返答できなかった。】

そして、

【愛すべき、心優しい支援者たちはその後、彼とじっくり話してくださった。
同じ町に住む仲間として、しんどくない暮らしを求めて、
彼の「おしろ」を支援してくださっている。】

以上。

これを書き写して分かった。
私が、前回、なんであそこで紹介を終えたか。

確かに、この三田さんという人が紹介してくれる
「知的障害」の人たちの言葉は、とても大切なことを私に教えてくれる。

三田さんの名前は覚えていなかったのだが、
『もう施設には帰らない』(中央法規出版)で、
「いい言葉を拾ってくれてるな」と思ったのもこの人のものだった。

だから、前回の「「おしろはくたびれるねぇ……」
「くたびれると泣けてくるんだよ」という言葉はぜひ紹介したいと思った。

でも、三田さん自身の言葉にはひっかりを感じるのだ。

『愛すべき、心優しい支援者たち』がどんな人たちなのかよく分からないが、
彼が施設にいたときからの関わりであれば、
彼の「くたびれる自立」の一端に責任があるような気がする。

仮に、施設から出るための支援に関わった人たちだとして、
それなら、それで、冒頭のようなまわりくどいインタビューなんかしなくても、
彼の苦労をそのまま伝えて、なんとかしようよと、
話さなければいけないことなんじゃないかな。

少なくとも、「愛すべき、心優しい支援者たち」という言葉は、
なんだかここにはそぐわない気がする。

また、他の場面で、こんな言葉がある。


【なんてすばらしい能力と感性をお持ちなんだと、
実はインタビューしながら私は唸っていたのだ。

そしてこんな能力を秘めていることを見落としたばかりに、

20年、30年と鍵のかかる施設の扉の中にいたのだと
残念でしかたなかった。】


すばらしい能力を見落としたから?
違うだろ?

そもそも、そんなふうに「能力」でしか
「人間」を見なかったからではなかったのか。

すばらしい「能力」があろうが、なかろうが、
人間を、20年、30年、鍵のかかる施設に押し込めている社会が、
野蛮なだけじゃないのか。

私はそう思う。

だから、保育園も、幼稚園も、小学校も、
「能力」なんかで、子どもを分けちゃいけないのだ。
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