ワニなつノート

最後の就学相談会 《守りについて》①




最後の就学相談会 

《守りについて》①



この子にとって、どの場所が安全で安心か。
どの場所なら、この子の主体と自由を守れるか。
どの場所なら、この子の笑顔を守れるか。

「どの場所なら?」
そんなもの、「どこにいても」に決まってる。


      □


8歳のとき、私は分けられた。
私は学校に歓迎されない子どもだった。

先生は敵だった。親は逆らえなかった。
友だちには隠し続けた。妹はまだ小さかった。

私には「守り」がなかった。


      □


私が分けられた後、校長と担任が家に謝りにきたのだという。
私を守ったのは、IQという数字だけだった。

IQに守られた? そんなわけないだろ。
それじゃぜんぜん守られなかった。

「本当はバカじゃなかったんですね」
「やればできる子だったんですね」

そんなものに守られた人生でたまるか。
個の能力? そんなもん、ただ親からもらった身体のこと。

だから、本当の悪い子の私は、本当は何に守られたのだったか。
探し続けてここにきた。


      □


ふつう学級の「いること」を守りながら、私は何を守ってきたか。
障害があろうがなかろうが、ふつう学級に「いること」を、「ここは、誰もが、ここにいることが揺るがない場所なんだよ」と伝えたかった。

「いること」が揺るがない寄る辺を、この子に贈りたかった。

どこにいても。子どもの「今」を守りたかった。
「次」も守りたかった。

8歳の私がほしかったのは、「いること」が揺るがない寄る辺だった。
どこいても。親がいても。親がいなくても。
「自分のいること」が揺るがないために必要な寄る辺。
どんな状況でも。癌になっても。障害があっても。

どこにいても。ふつう学級でも。特別支援学校でも。
「ここでなければ」という怖れがあれば、どちらにいても「揺らぐ」。

IQで守る? 個の能力を伸ばして守る?
選んだ場所で守る? 親が一生守る?
そうじゃない守りを探してここにきた。


さてと。

私の探している「守り」はなんだろう?
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