☆
上の娘たちが通う、隣の市のダンスクラブに行ってきました。
小学校の体育館で2時間のレッスンにお付き合い。
小1~6年生の女の子たちに混じって踊ろうとするちひろと、
チョロチョロする四女。
『頼むから端で踊ってくれぇ…』の連れ戻し
&四女の捕獲を繰り返し滝の汗。
短い休憩時間、6名くらいの2年生の子たちが、
ちひろの近くに来ました。
ちひろが笑顔で「だぁー♪」と手を伸ばすと、
女の子たちは「キャー」と逃げていきます。
そしてまた戻ってきては同じことの繰り返し。
「キャー」の後に、「怖ーい」「気持ち悪ーい」
の声が聞こえてきました。初めての経験。
笑顔で見守っていたはずがだんだん怪しい雲行き…。
こんなアプローチ、はじめの一歩もあるよね!?って、
冷静になれば思えたのに。
気がつくと、女の子たちの所へ行きたがるちひろを、
『いかないで…』と膝の上でガッチリ抱きしめていました。
「覚悟」覚悟。
『なんだよぉ、全然ダメじゃん』
まだまだ覚悟以前です。
□ □ □
《hiroさんへ》
覚悟?
私はどんな覚悟を求めてきたのだろう?
覚悟?
私はどんな覚悟を持たなきゃと迫ってきたのだろう?
覚悟?
コメントだけでは見えない状況もあるけれど、
でも、やっぱり「ちょっと違うかな」と思います。
短いコメントなので、もしかしたら的外れかもしれませんが、
「そんな覚悟、できるもんか」と、
私は思うのです。
まだ保育園の小さな娘が、年上の小学生の子どもたちに、
からかわれ「怖い」「気持ち悪い」と言われ、
そこで持てるどんな「覚悟」があるでしょう。
そんな覚悟、できるもんか。
そう思います。
「ちょっと待って。
あなたたち、いま、なんて言ったの?
この子のこと怖いって言った?
この子のどこが怖いの?
この子のどこが気持ち悪いの?
私の大事なかわいい娘なんだから、
そんな悲しいこと言わないで」
とっさに、その子どもたちを追いかけて、
そう言えなかった「覚悟」?
コメントの「覚悟」は、それじゃないかな、
と感じるのですが…。
「こんなアプローチ、はじめの一歩」は、現実にあるのでしょう。
でも、今回のような場面での、「次の一歩」は、
そこにいたhiroさんがこれから踏み出す一歩ですよね。
「いかないで…」と抱きしめてしまう思い。
それも「はじめの一歩」として、
あたりまえの反応だと思います。
その場で、反射的に、その子どもたちをつかまえて、
「あんたたち、この子のどこが、怖いの。
わたしのかわいい娘に、失礼なこと、悲しいこと、
言ってんじゃないわよ~」と言える人もいるでしょう。
でも、多くの人は、「反射的」には動けないでしょう。
でもね、その「瞬間」はまだ終わってないですよね。
hiroさんが、その凍り付いた瞬間を、
自分で溶かして、次に何をするのか。
ちーちゃんを「いかないで…」と抱きしめてしまったことを、
「後悔」している時間が終わったら、
その後のことを教えてくださいな。
私や、このコメントを読んだ人たちが、
悔しい思い、悲しい思いをして、
パソコンを閉じた後も、ずっと、その場面が浮かんでしまい
涙がこぼれるほど悲しい思いをするだろう、そうしたことを、
「悪気なく」してしまう「子どもたち」に、
誰が、この「悲しみ」を伝えるのだろう。
それは、ちーちゃんが侮辱された、悲しみだけではありません。
その2年生の子どもたちが、
そのふるまいと言葉の意味を知らないまま、
誰からも教えてもらえないまま大人になっていく不幸をも、
私は悲しみます。
ちーちゃんと、その子どもたちを、助けてあげられるのは、
そこにはhiroさんしかいないんじゃないのかな。
次のダンスクラブにいくときに、2年生の子どもたち6人分の
「てがみ」を持っていくこともできますよね。
ダンスクラブの先生に、話をしてもらうこともできますよね。
hiroさんのことだから、もう先生には話したでしょうか。
覚悟?
傷つかない覚悟なんて、できないですよね。
目の前で子どもを侮辱されて、
揺れない覚悟なんてできないですよね。
その場で、何も言い返せず、
子どもを抱きしめるしかできないこと。
本当の自分の覚悟が、問われ始めるのは、
その瞬間からではないのでしょうか。
反射的に子どもを抱きしめて守りたい思い。
いまは、ちいさな体をすっぽり包んで
抱きしめてあげられるけれど、
いつかこの子も大きくなって、私の手を離れていく。
ずっとこのまま、抱きしめ続けていることはできない。
それでも、わたしがいつも抱きしめている思いを、
子どもに伝えるために、その手を離した後に、
hiroさんが思いとことばを届ける相手は、
その2年生の子どもたちですよね。
子どもが傷つくことに揺れない覚悟なんて、できません。
日々のささいな出来事であれ、
子どもが悲しい思い、さびしい思いをすることに、
揺れない覚悟なんてできません。
私が思っている「覚悟」は、
その瞬間、後悔するような反応しかできず、
ちゃんと言い返せないこと、
ちゃんと自分の思いを言えないこと、
そうした「揺れる自分」、「弱い自分」を受けとめて、
その自分を自分でやりなおす「覚悟」のことのようです。
だから、私の覚悟は、「揺れる覚悟」といえばいいでしょうか。
「子どもが傷ついて帰ってくること、
泣いて帰ってくることに、うろたえ、
揺れる自分を受けとめる覚悟」。
「親になったのに、弱いままの自分」を受けとめる覚悟。
「親になったのに、子ども一人守りきれない
自分に落ち込み、揺れる」覚悟。
そして、何より、その「弱い自分」を見せても、
大丈夫な仲間がいることを信じる覚悟、でしょ(o|o)
揺れながら、泣きながらでも、
子どものために闘う仲間の一人でい続けようと願う
自分の覚悟だと思いますよ。
「揺るがない」ものはすでにあります。
わたしにも、hiroさんにも。
それは、「何があっても、どんなことがあっても、
この子は、私の一番大切な私の子ども」だということです。
姉妹はみんな同じ、私のかけがえのない
大切なふつうの子どもだということ。
だから、どの子も私が歩んできた人生と同じように、
この家で家族といっしょに暮らし、地域の学校に通い、
大人になり、シャバで自分の人生を生きていくこと。
だって、それは揺るぎようがないじゃないですか。
こころはささいなことにも揺れるものですよ。
だって、揺れるのは、生きているってことだから。
揺れるのは、心の自然のうちなんですよね。
コメント一覧
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hiro
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やすハハ
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