新一年生の教室の世界(abcd-①)
《相互性と応答性のある関係を生きること》
障害に理解のある場所とか、最善の教育を探すより、この子と向き合い、この子と応答する関係のある場所を探したい。
でも場所は、場所でしかない。
肝心なのは人だろ。
a.相互性をもてる人。
b.応答性を備える人。
c.子どもの屈辱をわかってあげる感性をもっている人。
d.無条件の肯定的配慮をできる人。
その場所で、a.b.c・dの人にどれだけ会えるか。
そういう問いかけにしてみて、よく分かる。
私がこだわってきた、ふつう学級という場所には、
abcdの子どもがあふれている場所のことだった。
◇
わたしの頭に浮かんだのは、「赤ちゃんじゃないよ」という子どもたちの声と、人工呼吸器をつけて保育園で働き始めた歩さんに、「あゆみお姉さんって死んでるの?」と聞いた子どものことばだった。
保育園の子どもが、寝たきりの子や、しゃべらない子を、自分よりも年下扱いすることは、ある意味自然なことなのだと思う。
子どもが、誰かを赤ちゃん扱いすることは、自分を「お姉さん扱い」することでもあるから。
でも、赤ちゃん扱いされる側の子どもはいい気持ちはしない。
ましてや死人扱いされるのは心外だ。
歩さんは大人だから、その場で反論する。
「死んでないよ。ちゃんと手動いてるでしょ」
「ふーん、そうなんや」
◇
a. 同じ一年生、初めて出会う一年生、話ができてもできなくても、呼吸器をつけていても、同じ一年生ならみんなお互いに「相互性」をもちあう子どもばかりだ。
b. 応答性。呼吸器をつけている人に向かって「お姉さん、死んでるの?」と思ったままを話しかけ、「生きているよ」と答えがあれば、「そうか」と納得する。
車椅子を利用している子がいれば、どうして歩かないの?
しゃべらない子がいれば、どうしてしゃべらないの?
教室からいなくなる子がいれば、どうしてすぐにいなくなっちゃうの?
こんなにも相互性と応答性にあふれる場は、他にない。
c. abだけなら、大人でも持ち合わせている人がいるだろう。
でも、「子どもの屈辱をわかってあげる感性」をもつ大人は稀だ。
その点、新一年生なら、ほとんどすべての子に、この感性は備わっている。なぜなら、まだ子どもだから。
「どんなに大人ががんばっても、子どもの代わりはできません」というのは、ここでも真実だ。
なにより特別支援教育に足りないのが、このabcdだ。
(つづく)
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