【3番目の答え】=《自分に読む物語》
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【1番目の答え】=《そもそも「問題」がなかった》「就学問題」なんて、はじめからこの子にはなかった。大人の「心配事」があっただけ。
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【2番目の答え】=《この子の隣には「間違わない子」がいた》「問題がない」ことをはじめから知っている子どもたちがいた。そのおかげで大人の理解はここまでたどり着いた。「この子」と「間違わない子」の後を、私たちは歩いてきた。
【り】《理解はこの子がつくるもの》《理解はあとからついてくる》
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ここで、ようやく3番目の答えが見つかる。
【3番目の答え】=《ふつう学級は「自分に読む物語」の舞台》
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そこがとても良い所で、そこに行けば良い運命が待っている、なんて言わないよ。ふつう学級は、そんな魔法の場所じゃない。まして、「教育される」場所でも、「直される」場所でもないんだよ。
そこは、地域の子どもが集まる場所。時代によって変わる教育に左右されない、つながりの安全を確かめ合うところ。なかには人権を知らない教師が紛れ込むこともある。セクハラ、パワハラ(指導)、体罰(暴力)が紛れ込むことがある。だから、より多くの目で見守ることが必要な場所。それでも、私たちにとってふつう学級は、「問題ない子」と「間違わない子」が、出会える場所で、『自分に読む物語』の始まる場所。
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子どもはみんな、「自分に読む物語」を編んでいる。
「自分の編んだ物語」を自分で読み、また出会い、つながり、物語を進める。ふつう学級はその舞台にすぎない。
豊かな物語にはスリルもピンチも必要でしょ。その上で、ふつう学級は「あなたは一人じゃない」と伝えるところ。だから、「今いるところをいいところに」と繰り返してきた。今年100歳になる師匠(小夜さん)の教えを守り続けている。
【い】《いい所などどこにもない。今居るここをいい所に》
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まだ白紙のページだらけの「自分に読む物語」。
物語の始まりには、お母さんが書いた「この子の好きなもの」がある。そして、「この子の一番かわいいところ」がちゃんと記されている。
それさえあれば、あとは「自分に読む物語」を自分で歩み始めることができる。困ったとき、傷ついたとき、一人になってしまったとき、そしていつか親がいなくなったときにひらく「自分に読む物語」。
私たちの就学相談会は、「自分に読む物語の舞台」を整えるための作戦会議だった。