【2番目の答え】=《この子の隣には、間違わない子がいた》
障害のある子の誰ひとりとして、「問題」がなかったことに気づくとき、同時にもう一つの答えを思い出す。
《この子の隣には、「問題ないこと」を、間違わない子がいた》
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私が、普通学級で介助員をしていた20代のころ、こっそり肩の傷跡を見せてくれたまきちゃん(小3)。
くっきりついた歯型を見て、思わずつぶやいた。
「痛かったでしょー、お母さん、びっくりしたんじゃない?」
「言ってないもん」とまきちゃんは笑った。
そういえば、私の「ふつう学級の介助」の基本は、まきちゃんに教わったのだった。私と二十違いだから、いまは45歳のお母さんしてるかもしれない。
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まきちゃんを思い出すと、次々と「間違わない子」の言葉を思い出す。
子どもの付き添いをする親へ。「お母さんがいない方が、みんなとたくさん話せるし、こうくん、もう慣れてるし、いなくても大丈夫だよ」。(小2)
入学したばかりの一年生の言葉。「おとなになると一人だから、いまから一人の方がいいよ」
いろいろ心配する親たちへ。「あのさぁ、おとなたちが心配するほどじゃぁないよ。べつに…」。(小2)
「うちの子は言葉を話さないから学校でどうしているのか心配」と話すママ友のため、わが子に「学校ではどんな様子?」と探りを入れる親へ。「はなれてみてる」と返す子。
「はなれてみてる? どういうこと?」と戸惑う親に、「ちーちゃんが自分でできることは手を出さない、でも困っているなら助ける」ことを説明する子ども。(小1)
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6歳だろうが、9歳、14歳、17歳だろうが、「はじめから問題などなかった子」の隣には、《絶対間違わない子》がいる。
その子たちは、はじめから知っている。
「ここに居てはいけない子どもなんていない」。
だから、「ここに居てはいけないのは誰か?」という「まちがい探し」はしない。
《間違わない子》とは、「自分の感じるままに感じることができる子ども」。だから、他の子にも、「あなたの感じるままに感じてはいけない」とは言わない子ども。
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ふつう学級とは、制度や教師の準備ができていなくても、「問題のない子」と「間違わない子」が出会える場所だった。
これは千葉だけでなく、北海道から沖縄まで同じ「答え合わせ」。