昨日は立冬だったが二匹の蛇に出会った。
一匹はヒバカリ、もう一匹は大きなシマヘビだった。
今期は随分と蛇にお目にかかった。
以下は様より。
季語は「穴惑(あなまどい)」で秋、「蛇穴に入る」に分類。そろそろ蛇は冬眠のために、その間の巣となる穴を見つけはじめる。
しかし「穴惑」は、晩秋になっても入るべき穴を見つけられず、もたもたしている蛇のことだ。
山道か野原を歩いていて、作者はそんな蛇を見かけたのだろう。もうすぐ寒くなるというのに、なんてのろまな奴なんだろうと思った。
でも、そんなに気にもとめずにその場を通り過ぎた作者は、しばらく行くうちに、何故かそいつのことが心に引っかかってきてしまい、どうしたかなと振り返って見てみたら、もう影もかたちもなかったと言うのである。
このときに「顧みすれば」という措辞が、いかにも大袈裟で可笑しい。
柿本人麻呂の「東の野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ」でどなたもご存知のように、この言葉はただ単に振り返って見るのではなく、その行為には精神の荘重感が伴っている。
蛇には申し訳ないけれど、たかが蛇一匹を振り返って見るようなときにはふさわしくない。
そこをあえて「顧みすれば」と大仰に詠むことによって、間抜けでどじな蛇のありようを暗にクローズアップしてみせたのだ。いかにもこの作者らしい、とぼけた味のある句である。
まさにピッタリの光景だった。