大井川・逢来橋 2020-11-12 | コラム 大井川に架橋される木橋たる逢来橋は明治12年に作られ、代々補修し続けられてきたという。江戸時代まで、幕府は大井川に架橋を許さなかったという。その理由は西国(端的に指摘すれば薩摩国)が革命軍を組織して攻め上ってくる要衝の意味を持っていたとものの本には記している。その様な要衝の意味では、熊本城、姫路城、名古屋城なども、反乱軍阻止のための要衝の城であったと聞く。 ところで、「蓬莱」と名付けられる地 . . . 本文を読む