だいぶ以前(8年前)に記した内容ですが、今でも大事なことと自覚していますので、一部校正して再録してみます。
アカウンタビリティー(Accountability)とは、直訳すれば説明責任となります。政府や企業、団体等の組織の権限を有するものが、株主や従業員や、消費者や取引業者、地域住民に至る等、直接または間接に関わりを持つ総ての人や組織(これらをステークホルダーと呼びます)に、その活動や権限行使の内容や結果等々を知らせる義務があると云う考え方で、独裁国家でない民主国家であれば当然のこととして相当依然から認識されている一般的なカタカナ言葉だと感じています。しかし、以前ある企業に勤める立場であった際、私が企業の代表者に「アカウンタボリティ上からもあなたは答える必用がある」と述べたのに対し、ポカンとして「なんだ、そのアカウ・・・?」はと答えたのに呆れたました。雇われにせよ、仮にも代表者たる者、日頃からもう少し本を読めよ!と思わざるを得ませんでした。
さて、一般企業の一従業員においても、このアカウンタビリティーが要求されざるを得ない局面は多い訳です。そして、組織の上部になる程、より高次のアカウンタビリティーが要求されるのだと思います、それによって、下位末端に存在する従業員が社会に対してアカウンタビリティーの義務を全うできるのは間違いないことでしょう。ですから、末端の従業員を行いから、おのずとその会社のレベルは知れるものだろうと感じています。
ところで、私は某企業の社員として20数年間、主に対外的な調査および折衝の業務に活動して来ました。その中で、対外的な意見の相違は日常的に生じる訳ですが、その解決は本当に極希な場合を除いて話し合いにより解決してきたと自覚しています。この20数年間で、数回だけ弁護士を介してことの解決をお願いしたことがありますが、その様な場合であってもそれ以前に何度も話し合いの機会を作り、最大限に解決への努力はして来たと思っています。しかし、周辺で聞いたり相談を受けたりする案件で、なんでこんなレベルの案件が、弁護士依頼となるのかという案件が多すぎる様にも感じられたのです。とにかく思うこととして、大きな組織(会社)が一個人に幾ら理不尽と感じられる様な要請を受けたからと云って、十分話し合い解決への努力もしないまま、法的権力だけを盾にして行動することは、社会的倫理に反し許されないことと思います。また、(対したものではないにせよ)法的権力を有した弁護士を、頭ごなしに介入させるについては、ある意味企業エゴというか弱者いじめの側面を持つとすら感じたことを思い出されます。
アカウンタビリティー(Accountability)とは、直訳すれば説明責任となります。政府や企業、団体等の組織の権限を有するものが、株主や従業員や、消費者や取引業者、地域住民に至る等、直接または間接に関わりを持つ総ての人や組織(これらをステークホルダーと呼びます)に、その活動や権限行使の内容や結果等々を知らせる義務があると云う考え方で、独裁国家でない民主国家であれば当然のこととして相当依然から認識されている一般的なカタカナ言葉だと感じています。しかし、以前ある企業に勤める立場であった際、私が企業の代表者に「アカウンタボリティ上からもあなたは答える必用がある」と述べたのに対し、ポカンとして「なんだ、そのアカウ・・・?」はと答えたのに呆れたました。雇われにせよ、仮にも代表者たる者、日頃からもう少し本を読めよ!と思わざるを得ませんでした。
さて、一般企業の一従業員においても、このアカウンタビリティーが要求されざるを得ない局面は多い訳です。そして、組織の上部になる程、より高次のアカウンタビリティーが要求されるのだと思います、それによって、下位末端に存在する従業員が社会に対してアカウンタビリティーの義務を全うできるのは間違いないことでしょう。ですから、末端の従業員を行いから、おのずとその会社のレベルは知れるものだろうと感じています。
ところで、私は某企業の社員として20数年間、主に対外的な調査および折衝の業務に活動して来ました。その中で、対外的な意見の相違は日常的に生じる訳ですが、その解決は本当に極希な場合を除いて話し合いにより解決してきたと自覚しています。この20数年間で、数回だけ弁護士を介してことの解決をお願いしたことがありますが、その様な場合であってもそれ以前に何度も話し合いの機会を作り、最大限に解決への努力はして来たと思っています。しかし、周辺で聞いたり相談を受けたりする案件で、なんでこんなレベルの案件が、弁護士依頼となるのかという案件が多すぎる様にも感じられたのです。とにかく思うこととして、大きな組織(会社)が一個人に幾ら理不尽と感じられる様な要請を受けたからと云って、十分話し合い解決への努力もしないまま、法的権力だけを盾にして行動することは、社会的倫理に反し許されないことと思います。また、(対したものではないにせよ)法的権力を有した弁護士を、頭ごなしに介入させるについては、ある意味企業エゴというか弱者いじめの側面を持つとすら感じたことを思い出されます。