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【書評】ぽんこつ(阿川弘之著)・自動車保有数と事故死者の推移

2023-02-19 | 論評、書評、映画評など
【書評】ぽんこつ(阿川弘之著)・自動車保有数と事故死者の推移
 この著者の阿川弘之(故人)だが、もちろん名前は聞いて来たが、その著作を読むのは初めてだ。
 この「ぽんこつ」という形容表現だが、老朽化した様々なモノ(人物事柄)にたいして使う俗語なのだろうが、それを一般化させたと思える本の様だ。なぜ、この本を読むことになったのかだが、戦後日本経済の黎明期たる戦後14、5年を経た(と云うことは1959もしくは60年頃)の自動車を取り巻く情景が記されてるということを知り、俄然読みたいという思いが生じたのだった。

 この本だが1960年当時に新聞に連載され、その後発刊されてた様だが絶版となっていたらしいが、2016年に再版されている。入手は、メルカリで古本が出品あり、早速入手後、読み始めたが、ポンコツ屋(正しく記せば自動車解体業もしくはリサイクル業)の若い主人公(25)、女子大卒業間近の女性(22)との性的でない触れ合いから、なぜか結婚するまでを、その周辺人物と共に描いたという娯楽小説というべき内容だ。

 それと、この本の物語の中心地となる都内墨田区竪川(現在は立川と改名)というのは、場所は総武線の両国と錦糸町の間ぐらいのやや北側、現在は高速7号線(京葉道)の下は、用水路となっていた様だが、その用水に沿う北側の地であった様だ。こういう、ある地域に同業者が集まるという傾向は、都内だけのことでなく、全国的にあり、特に城下町だと鍛治町とか白金町とかできたのは江戸時代以来だろうし、その後もある母店が起点になり、そこからのれん分けで同業者が増えるという歴史があった様に感じられる。ただし、現在の同地は、この物語後の自動車保有台数の増大などで、業容を大きくするするため、千葉とかもっと郊外に移転し、今では解体業を営む店は少ない様だ。

 私は1957年生まれなので、1960年と云えば、未だ幼稚園前の年で今やその記録もほとんどないが、この本の主人公達にとって、当時22とか25ということは、正に戦中となる1935~1938年という時代に生まれ、幼少期をその戦争末期の東京で過ごしたということになる。終戦(敗戦)は1945年8月だが、その前年末位から、米軍に南洋の地を奪われて以来、B29の絨毯爆撃は繰り返され(合計100回以上)、特に1954年3月の夜間空襲では一晩10万の死者が出たと云われる。凄まじい時代だったのだが、物語の中でも主人公の解体屋青年たる5才児童の記憶として、父母と行き別れになるシーンが描かれている。

 さて、この1960年という年は、正に敗戦でボロボロになった日本経済が急速に立ち上がる時代だった。それは、自動車保有台数が僅か数百万の1960年初頭から1970年までの10年間で2000万台まで立ち上がるのだ。この自動車保有数は2022年現在で8200万台に達しているが、この10年を見ると微増もしくはほとんど変わらないという状況だ。一方、新車の販売台数は減少し続けており、平均車齢とか平均使用年数は微増し続けている。つまり、現在の日本は、新車を買えないが、古いクルマで我慢し続けているということがある。

 クルマの増加に伴う弊害として事故の増加があるが、添付グラフで示す通り1948年の事故死者数は4千名弱だが、これが1960年には1万名近くに達し、1970年には過去最悪値となる16,865人を記録している。その後、死者および事故件数とも一旦減るが,これは高速道とか道路の信号など環境とか規制の強化だろう。しかし、保有台数は増え続けているので、再び死者と件数は増加し続けるが、1992年前後をピークに死者は減るのだが、この理由は、一つはエアバッグとか衝突安全ボデーの採用、高度医療の普及があるのだろう。そして、2000年以後は、事故死者および事故数共下がり続け現在に至るのだが、これは保有台数の伸びが微減となったこと、1台あたりの走行距離数が減ったこと、つまり日本の景気が停滞したことと無縁ではなかろう。何しろ、バブルピークの1990年より現在の平均日本人所得は一部の高額所得者を除けば減っているのだからある意味当然だろう。





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