富士山といえば、我が国民には象徴的な存在として意識されているはずです。これは、我が国を訪れる外国人の方の多くに、富士山という名が広く知られていることことからも明かなことでしょう。
確かに富士山は単独峰でもあり、綺麗で緩やかな稜線を描く美しい山だと感じます。世界遺産への申請がなされていると聞きますが、なかなか難しい問題もあるのでしょう、その認可は未だ下されません。
しかし、非常に滑らかな稜線を描く円錐状の富士山ですが、富士宮市方向から見ると山頂付近から下方に伸びる大きな割れ目となる大沢崩れが観察されます。また、沼津市方向から見る富士山は、山腹に宝永火口が大きな口を開けている姿を曝しています。
宝永火口の原因となった宝永噴火ですが、今から約300年前となる宝永年間(江戸時代)に大噴火を起こしたものであり、溶岩の流出はなかったものの、降灰は御殿場市(当時の御厨(みくりや)の地)では数メートルにもおよぶもので壊滅的な被害を生んだそうです。また、遠く東京都(江戸)でも、数センチの降灰と、昼でも暗い日が続いたと記されています。
宝永噴火は1707年12月15日に始まったと記されています。噴火活動がどの程度の期間続いたのか判りませんが、少なくとも1708年の元旦に当たる日には、まだまだ盛んに噴煙を上げ続ける状態ではなかったのでしょうか。ですから、往時の人々は、ある意味暗い気持ちで正月明けを迎えたのではないでしょうか。
確かに富士山は単独峰でもあり、綺麗で緩やかな稜線を描く美しい山だと感じます。世界遺産への申請がなされていると聞きますが、なかなか難しい問題もあるのでしょう、その認可は未だ下されません。
しかし、非常に滑らかな稜線を描く円錐状の富士山ですが、富士宮市方向から見ると山頂付近から下方に伸びる大きな割れ目となる大沢崩れが観察されます。また、沼津市方向から見る富士山は、山腹に宝永火口が大きな口を開けている姿を曝しています。
宝永火口の原因となった宝永噴火ですが、今から約300年前となる宝永年間(江戸時代)に大噴火を起こしたものであり、溶岩の流出はなかったものの、降灰は御殿場市(当時の御厨(みくりや)の地)では数メートルにもおよぶもので壊滅的な被害を生んだそうです。また、遠く東京都(江戸)でも、数センチの降灰と、昼でも暗い日が続いたと記されています。
宝永噴火は1707年12月15日に始まったと記されています。噴火活動がどの程度の期間続いたのか判りませんが、少なくとも1708年の元旦に当たる日には、まだまだ盛んに噴煙を上げ続ける状態ではなかったのでしょうか。ですから、往時の人々は、ある意味暗い気持ちで正月明けを迎えたのではないでしょうか。