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コンビによる主体人物評価について

2022-12-28 | コラム
コンビによる主体人物評価について
 ある評価すべき主体人物がいる。しかし、主体人物が単独で話したり、様々な対談という形での会話では、評価人物の良さが極めて引き出されると云うのに対し、しばしば特定人物とのコンビ対談となると、とたんに対談そのものの価値観が失われるというか、そもそもその会談を聞き続けることが苦痛にすら感じるという場合があることに気づく。

 おそらく私が高評価しつつ傾聴に値するという人物は、もはやそんな思いもなく、単なる対談者として馬が合うとか、そういう場面に引っ張り出されることになっているだけで、別段その様な意識すらない場合がほとんどなんだろう。

 以下この様な実例を3つ上げて、論評してみたい。

1.神保哲生 with 宮台真司
 端的に記して「宮台真司」という論者の意見はすべてを受け入れるまでの信仰する程の思いはないが、現代日本の論者として傾聴すべき人物と思えているが、何故この神保哲生という人物の対談が多いのだろうか。だいたい、この両名だけの対談動画をしばらく聞くと、神保は宮台を引き立てるどころか殺している様にすら感じてしまう。新保が自らに欠落したリティラシィを宮代氏に期待し、対談を企画する、またそれなりの交友関係があり、その様な関係にあるのだろうが、そんな交友関係等は視聴者には関係ない。

2.山口一臣 with 郷原信郎
 この郷原信郎という元検事の論は、警察、検察、裁判所という司法の論理を極めて論理的に整理しているという面で、やはり現代日本の論者として傾聴に値する人物と予て意識して来た。ところが、この場合も、山口一臣とかいう元週刊朝日編集長とか云う人物との対談が多い訳だが、正直、対談形式というのは、ものごとを視聴者に判り易くする意味では価値あるのだろう・しかし、山口とのコンビ対談での郷原氏の言葉は死んでしまう様にすら感じる。なんでなんだろうと理由を考えてきたのだが、山口の顔相、着ている衣服(似合いもしないアロハとか)、質問の与え方とか、反応の仕方など、私だけの私見に過ぎないのかもしれないのだが。何れにしても、山口は評価できない人物としか思えない。

3.清水有高 with 佐藤章
 この佐藤章という元朝日ジャーナリストだが話しは正直巧いと思わないが、なかなかの論者でしっかりした視点を持っていると認識している。ところが、一月万冊を名乗り、自己紹介では月数千冊の本を読む(見る眺めるの間違いだろう)と空威張りする清水有高だが、程度が低すぎる。なお、この清水は、佐藤だけでなく、本間龍(元博報堂)とか安富歩(東京大学東洋文化研究所教授)などとのコンビ対談も多いが、何れもこのコンビとしての清水が出る対談は見ない聞かないことにしている。


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