モラルリスク事案との闘いについて、第3回目を記してみます。
前回、モラルリスク事案の発見の端緒はセンスであると記しましたが、整合性に関わる基本動作や諸知識を無視するものではありません。これら事項を通して、論理的に立証しつつモラルリスクを排除して行くことが最終的に必要となるのは云うまでもないことです。
さて、モラルリスクの排除には、そのことを保険会社として組織的に受け止め徹底的に排除していくという倫理が欠かせないことであると思います。これは至極当然のことなのですが、現実は甚だ心許ないことも実態としてあるというのが私の経験なのです。
モラルリスク排除のための闘いには、普通に考えれば不正を行う者との闘いでありますが、驚くべきことに自らの会社組織が最大の敵となる場合もあるのです。これは具体的に云えば、保険会社自体に内在する事なかれ主義の要素が働くためであると云えます。つまり、不正を通そうとする者は、陽動策として組織上部(本社)や所轄官庁を含めたクレームを行う場合が多々ありますが、これにより会社組織内における葛藤を生じる場合もあり得ます。また、有力代理店や有力契約者に関わる案件においては、会社組織への圧力や先と同様の葛藤を生じたりする場合もあり得るのです。不正を通そうとする者は、陽動策として組織上部(本社)や所轄官庁を含めたクレームを行う場合が多々あります。また、有力代理店や有力契約者に関わる案件においては、保険会社自体に事なかれ主義の要素が働くのも無理からぬことでもあります。そして、最終的にものごとを判断する現場責任者のモラルに、相当の上下格差があることも実態なのです。私が触れあって来たあるリーダーが、モラルリスクとして訴える私に云った言葉が今でも忘れられません。その方は私に「証拠のない事案は払うしかないのだ」と云うのです。何ら不正に対峙しようともせず、この様な言葉を安易に吐くリーダーは、公正・公平という保険会社に求められる倫理に欠ける許されざる者であると感じます。例え現状では直接証拠がなくとも、積極果敢にチャレンジしつつ、状況証拠を積み上げ、社会的に見て十分に疑うに足りるという根拠を持って戦うという姿勢は絶対に必要なことであると私は確信するのです。
※次回は、モラルリスク事案との関わりにも多い、暴力団組織との関わりの思い出として記してみます。
前回、モラルリスク事案の発見の端緒はセンスであると記しましたが、整合性に関わる基本動作や諸知識を無視するものではありません。これら事項を通して、論理的に立証しつつモラルリスクを排除して行くことが最終的に必要となるのは云うまでもないことです。
さて、モラルリスクの排除には、そのことを保険会社として組織的に受け止め徹底的に排除していくという倫理が欠かせないことであると思います。これは至極当然のことなのですが、現実は甚だ心許ないことも実態としてあるというのが私の経験なのです。
モラルリスク排除のための闘いには、普通に考えれば不正を行う者との闘いでありますが、驚くべきことに自らの会社組織が最大の敵となる場合もあるのです。これは具体的に云えば、保険会社自体に内在する事なかれ主義の要素が働くためであると云えます。つまり、不正を通そうとする者は、陽動策として組織上部(本社)や所轄官庁を含めたクレームを行う場合が多々ありますが、これにより会社組織内における葛藤を生じる場合もあり得ます。また、有力代理店や有力契約者に関わる案件においては、会社組織への圧力や先と同様の葛藤を生じたりする場合もあり得るのです。不正を通そうとする者は、陽動策として組織上部(本社)や所轄官庁を含めたクレームを行う場合が多々あります。また、有力代理店や有力契約者に関わる案件においては、保険会社自体に事なかれ主義の要素が働くのも無理からぬことでもあります。そして、最終的にものごとを判断する現場責任者のモラルに、相当の上下格差があることも実態なのです。私が触れあって来たあるリーダーが、モラルリスクとして訴える私に云った言葉が今でも忘れられません。その方は私に「証拠のない事案は払うしかないのだ」と云うのです。何ら不正に対峙しようともせず、この様な言葉を安易に吐くリーダーは、公正・公平という保険会社に求められる倫理に欠ける許されざる者であると感じます。例え現状では直接証拠がなくとも、積極果敢にチャレンジしつつ、状況証拠を積み上げ、社会的に見て十分に疑うに足りるという根拠を持って戦うという姿勢は絶対に必要なことであると私は確信するのです。
※次回は、モラルリスク事案との関わりにも多い、暴力団組織との関わりの思い出として記してみます。