私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

潜水艦の話

2008-02-28 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 1カ月程前(1月22日)に潜水艦のDVDを3本立て続けに見たことを記しました。レッドオクトーバーを追え、Uボート、U571の3本です。レッドオクトーバーは原潜ですが、Uボートは云わずと知れた第2次世界大戦のドイツの潜水艦です。この様な原潜でない潜水艦は、浮上中はディーゼルエンジンで運行し、潜行中は蓄電されたバッテリーで運行します。バッテリーの蓄電容量は大したものでなく、長い航海ではほとんど浮上して航行し、時々潜行して低速で運行するというのが実態だったそうです。そして、戦闘行動は潜行して行うことになりますが、バッテリーの容量は限られますし、乗員の生存に必要な空気も限られたものです。潜水艦と駆逐艦の死闘では、潜水艦はひたすらソナー(聴音機)の音だけを頼りに、駆逐艦の投下する爆雷から逃れようと深度を下げていきます。しかし、潜行できる深度には限界はありますし、息詰まるようなギリギリの死闘が展開される訳です。
 旧日本軍でも伊号潜水艦が活躍しました。この中でも、吉村昭氏が著した「深海の使者」で知った活動には驚きを感じます。大戦中の日本と同盟国であるドイツ間の3万キロあまりを、連合軍に封鎖された大西洋の中を、密かに往復しようとした多数の伊号潜水艦があったのです。この活動によって、日本は同盟国のドイツから軍事技術情報を入手しようとしていたのです。先にも記したとおり、ほとんどは浮上して航行し、危険を感じて潜行して低速で進むということを繰り返す、大変な苦労を強いられる航海であったはずです。多数の伊号潜水艦が未帰還となったと云います。Uボートも同様であったらしいですが、艦長で40代前半、ほとんどの乗員は20代前半の若者達が乗艦していた様です。映画や吉村昭氏の小説では、戦争のあるディテールを描きながら、戦争の無惨さを訴えてくれます。
 同じく、吉村昭氏の著書で「歴史の影絵」の中に収録された「伊号潜水艦浮上せず」も、驚くべき戦史の一つです。昭和19年に急速潜行の訓練中に、吸気弁に木片が挟まり水漏れして沈没した潜水艦が、戦後の昭和28年になって引き上げられた際の記録です。引き上げられた伊号艦は、前部魚雷発射管室には浸水しておらず、その中の状景を目撃した方の取材により記されています。艦内は酷い悪臭であったが、遺体はまるで死者の色でなく生きているかの様なピンク色であったと。そして、皆がベッドに横たわり、ほとんど裸で上を向き苦しそうに口をあけている状景が記されています。そして、その後の艦外への遺体搬出によって、遺体はみるみるうちに赤い斑点が現れ腐敗して行ったと。
 浸水した後部電動機室内から発見された遺書の束のことにも驚きます。浸水が始まり、皆が死を覚悟する中でパニックにも陥らず、それぞれが短い文章ながら身内に向けた遺書(というか一言を)を記して、整然と死を迎えていたのです。何とも悲しいですが驚くべき状景と感じます。本当に戦争は悲惨であり、してはならないことではありますが、国の独立を守るための抑止力としての防衛力(軍隊)は、必要欠くべかざるものなのです。

追記
 現在の潜水艦では、乗員への環境性能は向上はされているのでしょうが、ディーゼルエンジンとバッテリーの潜水艦では第2次世界大戦当時と基本的には変わりません。原潜では、潜行中の速力の方が高速ですし、例え1ヶ月間でも潜行を続けることができます。しかし、原発と同様に原子炉の暴走や放射能漏れが発生したら、密閉された艦内ですから悲惨なものでしょう。旧ソ連時代には、公表されていない原潜の沈没事故が相当にあったという噂があります。なお、昨今は、クルマでも燃料電池が実用化されようとしていますが、潜水艦にこそふさわしい機構だと思います。しかし、基本的に「浮上できず」の状態に何時も曝されているのが潜水艦の宿命なのです。


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