私の思いと技術的覚え書き

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ゼロ戦と大和のこと

2008-05-21 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 文藝春秋の6月号にゼロ戦と大和のことが記事として掲載されていました。
 ゼロ戦は開戦当初は空戦性能で圧倒的な性能を誇り、無敵の強さを発揮しました。しかし、時を経るに従い、ウィークポイントを露呈させて行きました。そして、軽量という運動性能を求めたが故の、量産性の悪さを内在していました。このため、損失機の補充が思うに任せなくなったのだと云います。

 一方の戦艦大和ですが、46センチ砲という途方もない主砲を12門を持つにしては、その船体はコンパクトにまとめ上げられたと云います。しかし、この様な戦艦を有効活用する戦略・戦術を持たず、46センチ砲はほとんど発射することもなく、沈没させられる羽目になったのです。

 同記事での結論的なこととして、ゼロ戦はその設計に量産性という現場の視点が抜け落ちていたと云います。しかし、大和は見事に現場の視点から作り上げたものであったと云いますが、戦略というマクロな視点が抜け落ちていたことを指摘しています。

 旧日本軍のことで、よく云われることですが戦略(ストラテジー)の不足が大きくあったことです。そして、兵站(ロジステクス)の軽視があります。総力戦においては、常に人・物の損失が生じ続けますが、ロジステクスに欠けた戦略は見る間に実戦力は目減りさせ、悪戯に負け戦を重ね続けたのではないでしょうか。

 この様なことは現代の企業経営でもまったく同様でしょう。過去の総括を徹底して行い、その反省に基づいた新年度の戦略としての経営方針の立案が必要でありましょう。また、個別の運動方針としての戦術においては、投入し消耗する労力と、得られると予想される効果を十分に検討して掛からなければいけないことなのでしょう。しかし、単なる小手先の目新しさや学者チックな理想主義に掛かれば悪戯に兵(従業員)は消耗し続け、戦果(効果)は失われ続け、やがて敗戦の憂き目を見ることは自明の理のことなのです。




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