佐高信と云えば、歯に記せぬ端的な言論で過去の同人の言論には大いに同感するものを感じた。しかし、昨今では佐高氏もご高齢になられたせいもあるんだろう、その言論には接する機会は希となって久しい。
そんな佐高氏の過去の言論の再掲となるのだろうが、JR福知山線の脱線大事故についての、当時のJR西日本社会長井出正敬(まさたか)への強烈な批判記事を読んだ。正に同意すべき、佐高節に久しぶりに接した。
そもそも、経営者で事故は生じさしめた個人の責任を宣う者がいることを驚き、呆れ、憎まざるを得ない。この佐高氏のコラムでも国鉄分割民営化だが、こんなの改革じゃないと断言しているが正にその通りと思う。
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脱線事故は「個人の責任」と言ったJR西日本の井手正敬【佐高信「この国の会社」】
4/12(月) 9:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL
【佐高信「この国の会社」】
4月1日に新潮文庫に入った松本創著『軌道』はJR西日本の福知山線脱線事故を追ったものである。
そこに「JR西の天皇」といわれた井手正敬(元会長)のインタビューが出てくる。井手は松田昌士、葛西敬之と共に「国鉄改革の3人組」と呼ばれた。いわゆる国鉄の分割・民営化だが、私に言わせれば、これは断じて「改革」ではなかった。
残念ながら、『軌道』にはこの視点が弱く、井手の主張に根底から反論できていない。あの事故は「民営化」ならぬ「会社化」が招いたものであり、天皇の井手に重大な責任がある。しかし、歴代総理の指南番とかいわれた安岡正篤信者の井手はまったくそれを自覚せず、JR西日本の広報室では記者に『マスメディアを通した井手正敬小史』なるものを渡していた。
「函カバー入りのA4判、暗緑色の布張りに金箔押しの文字という仰々しい表紙」だというから、当時から井手は正気ではなかったのである。
「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです。組織的に事故を防ぐと言ったって無理です。個人の責任を追及するしかないんですよ」
井手はこう言ったというが、最後の「個人の責任を追及するしかない」にだけ賛成して私は井手の責任を追及する。しかし、安岡教信者の井手は自分に責任があるとは毛頭考えない。「井手商会」と呼ばれたJR西の体質は変わったのか。
北海道のある町の町長は「国鉄は赤字だ赤字だと騒ぎたてるが、では、消防署が赤字だと言うか」と反論した。
国鉄は民営化という名で会社になって、過疎地の赤字路線などは廃止された。公共の足が失われ、過疎はさらに進行した。
そういう公共の観念が井手には欠落している。脱井手がこの会社の課題である。(敬称略)
(佐高信/評論家)
そんな佐高氏の過去の言論の再掲となるのだろうが、JR福知山線の脱線大事故についての、当時のJR西日本社会長井出正敬(まさたか)への強烈な批判記事を読んだ。正に同意すべき、佐高節に久しぶりに接した。
そもそも、経営者で事故は生じさしめた個人の責任を宣う者がいることを驚き、呆れ、憎まざるを得ない。この佐高氏のコラムでも国鉄分割民営化だが、こんなの改革じゃないと断言しているが正にその通りと思う。
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脱線事故は「個人の責任」と言ったJR西日本の井手正敬【佐高信「この国の会社」】
4/12(月) 9:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL
【佐高信「この国の会社」】
4月1日に新潮文庫に入った松本創著『軌道』はJR西日本の福知山線脱線事故を追ったものである。
そこに「JR西の天皇」といわれた井手正敬(元会長)のインタビューが出てくる。井手は松田昌士、葛西敬之と共に「国鉄改革の3人組」と呼ばれた。いわゆる国鉄の分割・民営化だが、私に言わせれば、これは断じて「改革」ではなかった。
残念ながら、『軌道』にはこの視点が弱く、井手の主張に根底から反論できていない。あの事故は「民営化」ならぬ「会社化」が招いたものであり、天皇の井手に重大な責任がある。しかし、歴代総理の指南番とかいわれた安岡正篤信者の井手はまったくそれを自覚せず、JR西日本の広報室では記者に『マスメディアを通した井手正敬小史』なるものを渡していた。
「函カバー入りのA4判、暗緑色の布張りに金箔押しの文字という仰々しい表紙」だというから、当時から井手は正気ではなかったのである。
「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです。組織的に事故を防ぐと言ったって無理です。個人の責任を追及するしかないんですよ」
井手はこう言ったというが、最後の「個人の責任を追及するしかない」にだけ賛成して私は井手の責任を追及する。しかし、安岡教信者の井手は自分に責任があるとは毛頭考えない。「井手商会」と呼ばれたJR西の体質は変わったのか。
北海道のある町の町長は「国鉄は赤字だ赤字だと騒ぎたてるが、では、消防署が赤字だと言うか」と反論した。
国鉄は民営化という名で会社になって、過疎地の赤字路線などは廃止された。公共の足が失われ、過疎はさらに進行した。
そういう公共の観念が井手には欠落している。脱井手がこの会社の課題である。(敬称略)
(佐高信/評論家)