? 今日は、あの三億円強奪事件から丸40年目の日だそうです。事件は迷宮入りとなりましたが、人的障害も起こさず、鮮やかな手口で行われた犯行は、私も含め多くの人々の記憶に残る事件です。
この犯罪には、白バイ風に改造されたオートバイや、逃走様に使用された乗用車(初代カローラ)のことが思い出されます。
この初代カローラですが、その大ヒットと共に、現在のトヨタ躍進の原点を象徴するクルマであると思います。モノコックボデーは、それ以前から使用されていましたが、フロントサスにストラット型式が国産で初採用(横置きリーフ併用)されました。従来のダブルウッシュボーン式に比べ、強化されたフロントアッパーボデーの構造は、衝突時のフロントピラーへの影響等、変形特性に随分違いが生じたことを。同時を知る先輩は伝えてくれます。
掲載写真は、以前に産業技術記念館(名古屋市)で見た、初代カローラの車両下部の写真です。フロント骨格は、今見ても随分しっかりした合理的構造であると見受けられます。但し、現在のクルマでは、クラッシュ特性の関係やFF車である理由により、フロントサイドフレームの位置が、もっと高い位置にされているという違いがありますが。
一方、リヤボデーの構造は、現在のクルマと違い、メンバーらしい構造物がほとんど見られす、非常に簡素な構成です。これは、サスペンションがリーフリジットだったことも理由ですが、如何にも軽くて簡素な構造だと見て取れます。
追記
当時のトヨタディーラーに居たアジャスター の先輩から聞いた話です。このカローラ登場当時、東名高速道路が開通し、いよいよ日本も高速道路の走る時代が訪れたのですが、新車納車直後のカローラが高速道路走行中にミッション内部の焼き付きを生じた際のことを話してくれました。
この原因は、ミッション内部のアウトプットシャフトの軸受け(燐青銅製ブッシュ?)が焼き付きを起こしてした訳ですが、その後直ぐにローラーベアリングに設変(設計変更)されたそうです。メーカーでも、相当な耐久テストを行うのでしょうが、市場における種々の運転条件に対応するのは結構大変です。
それと、モノコックボデーの当初の頃の話でしょうが、ボデーの軋み音で苦労したことをを印象深く聞きました。
この原因は、パネル合わせ面のズレから生じていた様ですが、修理方法としてはパネル合わせ面にマイナスドライバー等を打ち込んで、若干隙間を広げてやることによって解消していたそうです。「とてもお客の前じゃ出来ないことったね」と云っていました。パネルの成型精度やスポット溶接技術が未熟だった時代の昔話です。