昔読んだ好きな小説に「官僚達の夏」(城山三郎著)があります。当時の若い通産官僚達が、国益を考え突き進みつつ挫折もするという物語だったと思い出されます。
この小説に出て来る「特振法」ですが、当時まだまだ脆弱だった日本経済を、基幹産業のグローバルでの競争力を増すべく、必要以上に国内での競争をすることがない様にすることを目的として、新規参入を制限する等の立法主旨を持ったものであった様です。
この、「特振法」は結局、廃案となり官僚達の、ある意味純粋なる野望は挫折するのです。しかし、当時、プリンス自動車が日産自動車に吸収合併することになったのも、背景には行政指導に近いものがあったと伝えられています。
また、当時二輪車の生産で気を吐き、これから四輪車へ進出しようとしていたホンダでは、本田宗一郎氏が頻繁に通産省を訪れ、怒鳴っていたという伝説を聞きます。それでも、ホンダは、四輪車生産の既成事実化を急ぐべく、慌ただしくスポーツカーのS360と同エンジンを搭載した軽トラックT360の生産を始めたのだそうです。
さて、官僚のことに戻りますが、組織が巨大になる程、その必要性は生じることは理解されるところです。しかし、官僚組織の自己肥大化は必然ですし、それを抑制するため政治家が活躍しなければならないのでしょうが、官僚と政治家通しが、それぞれの既得権益の妥協点を共有している甘い関係だけに終始している様に感じられます。
ところで、行政組織の官僚というのは、例え相当に酷い惨状を呈しても、まず組織が破滅することはないのでしょうが、民間企業ではそうならないのは自明のことです。官僚化が進み、派閥と仲良しクラブで組織の権力者が既得権益だけを追求する様な組織は、遅かれ早かれ壊滅するのは間違いのないことです。
しかし、そんな中にあって、巨大な金融機関の場合は、その壊滅の社会的な影響の大きさ故、行政の救済と云うことが行われます。社会的な大きさを鑑みれば止むないことなのでしょうが、そうであるならば、それらの経営者と官僚には相応の経営責任を担うはずですが、十分な責任追及がなされることはないのは腹の立つことです。
追記
新銀行東京と農林中央金庫の去就が注目を受けている様です。
新銀行東京は、融資実績作りだけが突っ走った乱脈融資の故の様です。また、農中は、農協等から多大の資金を集め、ロクに融資もせず多くを外国債券の投資するという運営をして来た故の様です。しかも、ここは過去に住専絡みで多大の政府援助の受けている悪実績もありますから、政府による再救済は許されざることであろうと思います。気の毒だけれど、農民がどう判断するかでしょう。